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先週の日曜日に岐阜県の大垣城に行ってきました。
最初はもう少し南にある養老の滝に紅葉を観に行くつもりで
出かけたのですが、到着したら雨が降り始め、外を歩く気が失せてしまい
そういえばここは大垣の近くだったよね、ということで
大垣城を訪れることにしました。
 
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お城を背にした騎馬像は徳川家の家臣、戸田氏鉄。
詳しいことを知らなかったので、どんな武将だったのかネットで調べてみました。
この人は戦国期~江戸時代にかけて活躍した人物で大垣藩戸田家二代目。
 
大垣を含む西美濃地方は江戸時代、
河川が複雑に入込み洪水が多発する地域でした。
氏鉄は藩の生産力向上のために新田開発を行い、
山の植林を進めると共に乱伐を止めさせ、水門を作り
治山治水の施策を進めました。
 
行政家としても手腕を発揮し、大垣藩の基盤を固めたほか
儒教にも関心を持ち人間味あふれる立派な人物だったようです。
戸田家は明治の版籍奉還までお家替えもなく続いています。
きっと領民に慕われた立派なお殿様だったのでしょうね。
 
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天守閣は四層四階建て総塗りごめ様式で、
下から見上げても大変優美な外観をしています。
昭和になって国宝指定されていたのですが、昭和20年の戦災で焼失。
その後、昭和34年になって再建されました。
入口のところには関ヶ原の戦の時の主な武将の幟が掲げられていました。
大垣城は関ヶ原の戦の時に西軍 石田三成の拠城となった歴史があります。
 
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内部は資料館になっています。
 
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江戸期のお城とその周囲を再現したジオラマ。
やっぱりこういうのが好きで観てしまいます (#^^#)
 
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2階か3階にDVDコーナーがあり、堺屋太一さんが監修された
関ヶ原の乱のDVDを閲覧することができました。
実は同じものを何年か前に職場の上司が貸してくれて観たことがあったのですが
見直してみたら、忘れていた箇所もたくさんありました。
 
堺屋さんは三成の企画力を大変評価されています。
そういえば大阪万博を実現させた時、一係長に過ぎなかった堺屋さんは
その構想の段階から三成の手法をまねて成功させたと著書で書かれてました。
 
DVDには「豊臣株式会社」という項目があり、
当時の日本を株式会社に置き換え、秀吉を創業者兼社長、
徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝の五大老が副社長か常務、
前田玄以、浅野長政、増田長盛、石田三成、長束正家の五奉行を本社の部長に
例えて、わかりやすく解説されていました。(#^^#)
 
それを考えると関ヶ原の戦は幹部の中でも一番力があり、次期社長と目される
家康に対して一部長に過ぎない三成が挑んだようなものだったのですね。
 
三成は現代なら社長室長兼企画部長の肩書になっていました。
この人は企画力に優れ、経理や法律にも明るい実務家であり、
彼の長所を生かしてくれた秀吉の下では抜群の才を発揮しましたが
エリートにありがちな狭量さなんかを考えると
一軍の将とまではいかなかったのでしょう。
小さい頃から苦労苦労の連続で辛酸をなめつくしてきた家康と比べると
いろいろ詰めの甘いところもありました。
 
親友であった大谷吉継に家康打倒の策を打ち明けた時に
三成には戦功がなく、人がついてこない、と
彼の不利な立場を説いて諌めてられています。
実際、その通りになってしまいましたが、一部長の立場で
副社長に挑んだ三成の手腕は評価されるところがあるのでしょうし、
多くが時期社長のご機嫌取りをする中、それに阿ることをしなかった点などが
三成好きな人の共感を呼ぶのかも。
私も司馬さんや堺屋さんの本で影響を受けているためか
石田三成のことは結構好きです。
ここでDVDを長くみていたため、近くの郷土館に行く時間がなくなってしまいました(*´ω`)
 
最上階から眺めた大垣の街。
お庭の木々が色づいてとてもきれいでしたが太陽の光がないためか
鮮やかさがいまひとつで残念。
 
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ネットで調べたら、この日の大垣の紅葉はまだ「色づき始め」になっていましたが、
もう葉っぱが落ち始めている木もありました。
これから二週間はこちらの地方でもいよいよ紅葉が見ごろを迎えます。
なんとか時間をやりくりして、紅葉狩を楽しむことができたら良いなと思っています♪
 
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