イメージ 1
 
先日、名古屋に出かけた時に熱田神宮へお詣りにいきました。
実は私、熱田神宮参拝も今回が初めて。(~_~;)
こちら名古屋には過去に4年近くも住んでいたのですが、
当時は全く興味がなかったのですね・・・。
大きな鳥居は濃い緑に覆われ、熱田さんもまた森(杜?)の中のお社という雰囲気でした。
 
まっすぐと本宮に続く参道です。
森林浴の時と同じで、木立の中を歩くのはとても気持ちがいいです。
浄化された空気が美味しく感じます。
 
イメージ 2
 
 
弘法大師のお手植えと伝えられる大楠。
注連縄が巻かれた大楠は樹齢1000年を超えるそうです。
境内には楠が多くあり、七本楠といわれています。
あとで知りましたが、木には蛇が住み着いているとか。
 
先日、伊勢神宮の月読宮を参拝した時も大変大きな楠が何本かあり、
同行した方々と話していたのですが、大きな木には見えないけれど
不思議な温かいパワーを感じます。(#^^#)
 
イメージ 3
 
大楠を越えて本宮に向けて更に進むと見えてくるのが大きな土塀。
本宮の手前両側にあります。
 
熱田神宮に戦勝祈願して桶狭間の合戦に勝利した織田信長がそのお礼に
奉納したものです。日本三大土塀のひとつといわれているそうです。
 
土と石灰を油で練り固めて、瓦を厚く積み重ねた造りになっており、
当時は全長400メートルあったとか。
現存のものは120メートルほどだそうですが、十分に存在感があります。
 
信長は比叡山焼き討ちをした人ですが、
彼が憎んだものは神や仏そのものではなく
それを利用する利権者らの腐敗だったのですね。
信長自身は大変信心深い人だったそうですよ。
 
イメージ 4
 
気になったので3大土塀のあとの2つを調べてみました。
兵庫県西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀がそれだとか。
三十三間堂の太閤塀も立派なものです。
西宮神社にはまだお参りしたこともないのでどのようなものか知りませんが
いつか参拝する機会があれば見てこようと思います。
 
いよいよ本宮です。周りの人が写真を撮っているので撮影OKということがわかり
私も数枚、カメラに収めてきました。
 
参道に熱田神宮の歴史をわかりやすく説明した看板が
年代順に絵と共に掲げられていましたが
2013年で創祀1900年と大変、歴史のある神社です。
皇位継承の象徴とされる草薙の剣を熱田に祀ったことが始まりとされます。
 
イメージ 5
 
草薙の剣はスサノオノミコトが、ヤマタノオロチを退治した時にしっぽから出てきた剣です。
ヤマトタケルノミコトが東征の際にヤマトヒメ(伊勢神宮の場所を決めた人)から
これを預ったとされています。
 
ここで疑問が。壇ノ浦で平家一門と一緒に海の底に沈んでしまった剣はなんだったのでしょう?
鏡と勾玉は見つかって回収されましたが剣は見つかりませんでした。
それに源平合戦の間も草薙の剣は熱田神宮にお祀りされていたはず。(;´・ω・)
 
これも疑問に思ったので調べてみました。ネットで調べた限りでは・・
安徳天皇と共に沈んだのはその分霊(形代というのか)そういうものだったようです。
また鏡の本体も伊勢神宮にあり、宮中にあった本物は勾玉だけだったのですね。
でもここにお祀りされている剣は今は誰も見ることができないとか。
 
まだ時間があったので宝物館に寄りました。
 
イメージ 6
さすが草薙の剣を祀る神社だけあって刀剣類が多く展示されていました。
収蔵品は6000点に及びます。毎月入れ替えされています。
 
入口に展示されていた長剣。
朝倉家家臣の真柄十郎左右衛門が姉川の戦いで使用していたという説明がありました。
2メートルを超える長さです。これが実戦に使われていたとは。
 
イメージ 7
 
展示室内は撮影禁止でしたので写真はありませんが、
書跡、絵画、刀剣、彫刻、工芸品など立派なものが多く展示されていました。
宝物館の展示物はもう一度ゆっくり見てみたいです。
あれこれ見ているうちに蓬莱軒の予約時間が近づいてきたので神社を後にしました。
 
そうそう、三重県の名の由来が宝物館においてあったパンフレットに書かれていました。
ヤマトタケルノミコトは東征の後、現在の三重県亀山市(鈴鹿?)のあたりで
病に倒れたそうです。
その時、足が膨れて、もとの三重にもなったからだとか。
あるいはあまりの疲労で三重に曲がりそうになったほどだったとか?
おぉ、それが由来だったとは・・・(*´ω`)
 
イメージ 8