
台風が来る直前の日曜日、岐阜県加茂郡八百津町にある
杉原千畝記念館へ行ってきました。
杉原千畝氏は第二次大戦中、6000人ものユダヤ人の命を救った
外交官として知られています。
ドイツと同盟していた日本の外務省が許可しなかった
ユダヤ人難民への査証発給を、自分がくびになるのを覚悟で行い、多くの命を救いました。
当時、ポーランドなどにいたユダヤ人がナチスの魔手から逃れて行く先は
オランダ領キュラソー島。そこへいくためにはシベリア経由で日本を通過するルートしか
残されていませんでした。このため多くのユダヤ人難民が彼のいる日本領事館へ
査証発給を求めて押し寄せたのです。
査証は手書きせねばならず、千畝さんは朝から夜まで書き続け、
手が動かなくなって夫人がマッサージしていたほどだったとか。
ソ連や本国から再三、退去命令を受けながらも査証を発給し続け、
最後に出国を余儀なくされた時も汽車が発車する瞬間まで
車窓から手渡された査証を書き続けたそうです。
杉原氏の勇気ある決断は当時の国際環境やおかれた立場から考えると
大変危険なこと。ご本人は後に外交官の職を解かれてしまったそうです。
激動の時代にあって「人間として何が大切か」という自身の信念を貫き、
ブレない生き方をされた杉原千畝氏ゆかりの地を訪れることができて良かったです。
八百津町は木曽川に沿って広がる平野を山が囲み、今でも豊かな自然が残っています。
これは記念館のある「人道の丘」から見下ろした風景です。


私が90年代に住んでいたオーストラリアのシドニーも多くのユダヤ人が住んでいるようで、現地にはユダヤ博物館があります。一度訪れたことがありますが、館内にはユダヤ人のたどった長い苦難の歴史を伝える展示と併せて、大戦中にユダヤ人の命をナチの手から救った人々についての展示がありました。 日本人として杉原氏の写真と査証発給についてのことが書かれたパネルが展示されていたのを覚えています。
外国で日本人の名前を見つけただけでもとても嬉しく、こんな素晴らしい人がいらしたんだなあという感慨を今でも思い出します。


この後、空の雲はどんどん厚くなり、小雨が降り始めました。
大雨が降ってきたのは帰宅する10分くらい前。
ぎりぎりセーフのお出かけになりました。(#^^#)
記念館についてのリンクはこちら。