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山崎豊子さんの「不毛地帯」345巻を読み終えました。
12巻と併せて、合計3000ページ近く、これだけの長編小説なのにだれることなく一気に読んでしまう面白さでした。
 
小説の時代背景は1960年代~70年代、日本が重工業化への道を歩み始める時期です。日本の自動車メーカーと米国大手自動車メーカーとの提携に奔走する
商社マンたちの姿を通して自動車業界の内部までが大変詳しく描写されており、企業同士の熾烈な戦いなど、この辺も非常に興味深かったです。
 
このころの日本の重工業はまだ揺籃期、技術はあっても経済が十分に育っていなくて外資が入ってくればあっという間に市場を食い散らされてしまうから関税で守られていたという、そんな時代だったのですね。
それとは対照的に世界の覇者とでもいうような米国、獰猛な動物を連想させるような米国の自動車メーカーの傲慢さがとても対照的でした。
 
4巻、5巻では近畿商事が油田開発に乗り出します。
油田を掘り当てることの難しさがたくさんの頁を割かれて書かれています。
鉱区の権益を取得するだけでも大変。権益を取得してもそれで石油が出るとは限らず、実際に掘削する前に地質調査や航空写真での判読、地震探査などを行い、ここと狙った場所を試掘します。それでも石油は必ず出るわけではないのです。
 
一本掘るごとに巨額のお金が砂漠の中に消えていきます。それだけでなく、全く輪郭の見えない中東の怪しいビジネス慣行、避けて通れない政治家や権益をもつ人間たちとの黒い繋がりの下りはなんともいえない気分でした。それでも凄まじいほどの執念で原油を掘り当てる商社マンらの姿が印象に強く残りました。
 
「不毛地帯」というタイトルは前半では草一本生えない極寒のシベリア、後半では砂漠が広がる中東のことをいっていたのだなということが半分くらい読み進むとわかってきました。
 
それともうひとつ、このタイトルが揶揄しているものがあったように思います。3巻目くらいだったと思いますが、シベリア抑留経験者の誰かが、戦後、急速な工業化が進む高度成長の最中にある日本の社会を「精神の不毛地帯」と呼んでいる場面がありました。物質的な富は戦争で全てを失った日本にとっては大切なものであったに違いないはずなのですが、急速な経済成長は別の犠牲を伴うものではなかったのでしょうか。ビジネスの世界には人間の善性を否定するような汚い側面があります。また家族もプライベートも全て犠牲にして会社人生を歩んできた人が突然、非情にも会社から簡単に切り捨てられる、組織の中で一人の人間がまるでぼろ屑のように酷使され捨て去られる、そんな場面が幾度となく出てきます。
 
主人公の壹岐さんは副社長にまで登りつめ、ビジネスマンとしては成功するものの、そこに心からの充足を感じることはなく、恋人であった一人の女性さえ幸せにすることができませんでした。
 
石油の賭けに勝った後、商社を去り、シベリア抑留経験者の会を引き継ぎ、彼の地で亡くなった戦友の遺骨を日本に帰すためシベリアに戻っていくというところで物語が終わります。あっけない終わり方でしたが、なんだかこの主人公らしい人生の選び方だなと思いました。
 
全体にとてもリアルな物語でどこまでフィクションでどこからノンフィクションなのかわからないくらいでした(~_~;) ここ数日間はすっかり睡眠不足になってしまいました。今日こそは12時前に寝ようと思います。

 
 
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