旅4日目、ホテルをチェックアウトして広島に向けて出発です。
途中、中津を通過するのでその周辺を観光することにしました。
最初、宇佐市にある宇佐神宮にお詣りしてきました。


この日も天気は快晴。新緑が眩しいくらいでした。
宇佐神宮は全国に4万社余りある八幡社の総本宮。
由緒ある立派な神宮でした。
朱塗りの鳥居、本殿が大変美しく青空に映えています。
伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟、また九州屈指のパワースポットなのだとか。
朱塗りの建物を除くとどこか雰囲気が伊勢神宮の内宮に似ている気がしました。

一般的には神社に参拝するときは「二拝二拍手一拝」ですが
宇佐神宮では「二拝四拍手一拝」。
旅の安全と健康をお祈りしてきました(#^^#)
気になったのは上宮にそびえる大きなクスの木。
私もあとで真似してやってみました。
大木の感触はどこか温かさがあって
じっと触れていると優しい気持ちになれます。

わんちゃんがしきりにこちらを見ていました。(笑)

次に向かったのは中津城。


初代の城主は黒田孝高(如水)、
来年の大河ドラマの主人公です。
今回の旅では大分県のいたるところで
この幟をみました。
彼は豊臣秀吉の軍師(参謀)だった人です。
この人について知ったのも司馬さんの「播磨灘物語」という小説でした。
黒田官兵衛くらい人の心を読むのが上手な人はいなかったのではないかと感心しまくりながら、この小説を読んだ記憶があります。
城主は黒田時代を経て、その後、細川家へ。
こんな看板があったので、そちらを見にいってみると。

黒田氏の石垣に、細川氏が石垣を継いだ境目がはっきりと見えます。
うーん、これではこの石垣を大河ドラマで使うわけにはいかないですね (~_~;)

細川氏2代の後、城主は小笠原氏が5代続き、
その後、奥平家が入封し、明治維新までずっと城主でした。
奥平家は徳川家の忠臣ですね。
このお城だけでもたくさんの物語がありそうです。

天守最上階からの眺めはとても美しいものでした。

大きな川が近くを流れています。
中津城は今治城、高松城と並んで日本3大水城です。


天守は模擬天守なんだそうです。
それから熊本城も確かこんなのだったと
思いますが、初めてこういうお城を見たとき、
石垣から天守の1Fがはみ出してるではないかと
思いました。
調べてみたら、張出造(はりだしづくり)とか懸造(かけづくり)というのだそうです。
そのメリットについてまとめたページを見つけたのでリンクしておきますね。(#^^#)
内部の展示も充実していました。


敷地内に福沢諭吉が幼少期を過ごした旧居があります。
母屋の裏に蔵がありますが、
彼はそこを改造して勉強部屋に使っていたそうです。

隣に記念館があり、思想家、教育家、実業家としての
福澤諭吉についての資料が多く展示されていました。

残念ながら写真撮影はNGだったのですが1Fと2Fに分かれていて
なかなか見応えのある展示になっていました。
先日、斎藤孝先生の現代語訳で読んだ「学問のすすめ」の原本もありました。
往年の写真も展示されていましたが、
福沢先生は身長170センチ以上あり、当時としてはかなり高身長の人だったようです。
一緒に写っている人たちが、子供かと思ったら大人だったので驚いてしまいました。
明治時代の日本人ってまだ平均身長が150センチ台あるかないかだったのですね。
あと、福澤人脈というのか彼の門下生には実業界で活躍した人々の多いこと!
あの会社もこの会社も?というくらい有名企業の創業者が福澤諭吉の
門下生であったようです。近代日本を築き上げる上で大変重要な役割を
果たした人だったということを改めて実感する機会になりました。
この日は移動に忙しくて、食事をするのを忘れていました。
気がついたら2時半。これも大分県に行ってから初めて知ったのですが
中津はからあげの聖地なんだそうです。
からあげ専門店で、お弁当を買って車の中で食べました。

久しぶりにからあげを食べたような気がします。
作り立てアツアツのから揚げはやっぱり美味しかったです。
市内の観光はこれくらいにして、次は広島に向けて移動しました(#^^#)
まだ続きますので良かったらまた観に来てください。(*´▽`*)