
「人類の進歩と調和」をテーマに開催された1970年の大阪万博で
岡本太郎氏が制作した「太陽の塔」。
この太陽の塔について先ほど少しだけネットで調べてみました。
「太陽の塔」の名前は石原慎太郎氏の小説に由来するそうです。
この塔には顔が3つ。
一番上の黄金の顔は「未来の太陽」

塔の真ん中部分にあるのが「現在の太陽」

背後にもうひとつ顔があるんです。「過去の太陽」

4つ目の太陽として地下に「地底の太陽」があったのですが
万博の後で行方不明になってしまったとか。
生命の根源を見つめなおす場として立てられたそうですが
残りの部分は観る側の想像力次第ですね。(^_^;)
そしてこの作品はほぼ同時期に制作された「明日の神話」と
対をなすものだということも知りました。
現在、東京の渋谷駅の連絡通路にかけられているこの作品は横に長く、
原爆の炸裂する瞬間を描いたもの。(下の写真はネットからお借りしました)

2つを見比べてみて思うのは日本が世界で唯一の原爆被爆国であること。
その国が成長し、平和を築きあげた象徴として太陽の塔が作られたのかも、
ということ。
太陽の塔のうしろ側にも広がるかつてのお祭り広場跡。
ちびっこたちが遊んでいました。

万博開催当時はこのお祭り広場から太陽の塔にかけて
鉄骨製の大きな屋根がかかっていました。
設計は丹下健三氏によるものです。
広島平和資料館、東京都庁舎第一本庁舎など戦後から多くの
国家的プロジェクトを手掛けてきた方です。
万博の大屋根はジャッキによる先駆的なリフトアップ工法で持ち上げたそうな。
その大屋根を太陽の塔が突き破って立つという岡本太郎氏とのコラボレーションは
いまでも語り継がれているとか。


梅の花を観に行った日本庭園の建物の中に映像室があり、
万博開催時の映像を観ることができたので30分ほど観賞してきました。
たまたま目にしたのは世界各国の元首クラスの人たちが
続々と会場を訪れている場面でした。
映像をみていると日本にこんな時代があったのかと思ってしまいます。
高度経済成長のさなかにあった当時の日本は世界中から一目置かれ、
国全体が活気と勢いに満ちていたことが、とても強く伝わってきました。
この大きなオブジェはイサム・ノグチ氏の作品で
「月の世界」というタイトルです。
人類が初めて月面着陸に成功したのは万博の前年1969年。
これと関係しているのでしょうか。

公園内をゆっくり歩いてみたのは今回が初めてでした。
元気だった頃の日本のことをいろいろ想像してしまいました。
今日は時間がなかったのであまり詳しいことまで
調べることができず、まとまりが悪くなってしまいましたが、
とりあえずこのへんで・・・(^_^;)