
今回は重いタイトルの本ですが・・・。
宮崎勉、小林薫、宅間守。
彼らは子供を襲い残酷に殺害するという
社会を震撼させる非常に衝撃的な事件を起こした死刑囚です。
社会を震撼させる非常に衝撃的な事件を起こした死刑囚です。
この本は著者が彼らと長期間にわたる交流を続け、それをもとに執筆されたものです。
彼らの倒錯した思考、異常な犯罪行為は読んでいて戦慄を覚えました。
(その部分を読んだ夜は悪夢をみてしまいました。((+_+)))
彼らの倒錯した思考、異常な犯罪行為は読んでいて戦慄を覚えました。
(その部分を読んだ夜は悪夢をみてしまいました。((+_+)))
しかし、その一面で、マスコミが伝える事件の衝撃性ゆえに見過ごされてきた
彼らに共通する闇の部分を知ることができました。
彼らに共通する闇の部分を知ることができました。
この人たちは被害者に対して、一切謝罪せず、
自ら死刑を望んでいたという面でも異常でありました。
自ら死刑を望んでいたという面でも異常でありました。
読み終えて感じたのは、こういう人たちにとって
死刑は決して、「犯罪の抑止力」になっていないのではないかということでした。
死刑は決して、「犯罪の抑止力」になっていないのではないかということでした。
もちろん被害者の立場になってみれば、死刑は相応のもの、
いや可能なら、もっとそれ以上に厳しい罰を・・と思うでしょう。
いや可能なら、もっとそれ以上に厳しい罰を・・と思うでしょう。
でも彼らのように常識という物差しで測れない人たちにとって
本当に死刑は極刑としての意味をもつものなのかという疑問が生じました。
ここで著者自身も指摘しているのですが、昭和から平成に変わってから
それまでの価値観では推し量れないような動機不明の凶悪犯罪が増えてきています。
それまでの価値観では推し量れないような動機不明の凶悪犯罪が増えてきています。
私たちはそこにもっと注意を向ける必要があるのではないかと思います。
異常な犯罪の増加、それは社会のどこかが
壊れつつあることを示すシグナルであるのではないか。
本来は今の社会が持つ根源的な問題を掘り下げ、
解決する努力をしなければいけないのではないでしょうか。
それなのに社会は、その問題を解明し、対処することをせず、
ただ、死刑執行という対症療法的なかたちで片づけてしまっています。
現在の制度の在り方では今後、同じような犯罪が次から次へと出てくるのではないかと
ただ、死刑執行という対症療法的なかたちで片づけてしまっています。
現在の制度の在り方では今後、同じような犯罪が次から次へと出てくるのではないかと
著者が述べていますが、現実はその通りになっています。
またもうひとつ危惧されるのがジャーナリズムの不在です。
かつては事件を長期にわたって追い続けるフリーのライターが存在して、
新聞やテレビの記者にできないことをフォローしていましたが
現在はひとつのことを深く追い続けるタイプの
ジャーナリストがいなくなってしまったそうです。
かつては事件を長期にわたって追い続けるフリーのライターが存在して、
新聞やテレビの記者にできないことをフォローしていましたが
現在はひとつのことを深く追い続けるタイプの
ジャーナリストがいなくなってしまったそうです。
マスコミが伝える扇動的で表層的なニュースだけに
振り回される状況ではやはり犯罪の本質はみえてこないように思うのです。
振り回される状況ではやはり犯罪の本質はみえてこないように思うのです。
私は死刑反対という立場ではありませんが
この本を読んで、罪を償うことの意味について深く考えてしまいました。
「本当に死で罪を償えるのか」、「こういう人たちに本当に死刑が有効なのか・・??」
これは私たちが生きる今後の社会の課題でもあるように思います。
「本当に死で罪を償えるのか」、「こういう人たちに本当に死刑が有効なのか・・??」
これは私たちが生きる今後の社会の課題でもあるように思います。
追記:子供の頃の宮崎勤↓

どこにでもいるような、元気な子供らしい子供にみえます。
数十年後、どうしてこんなことになってしまったのか。
空白の数十年の間に
社会ができることがあったのではないかと、
この写真をみるたびに思います。
