イメージ 1明治・大正の元老 山県有朋が京都に造営した別荘、無鄰菴(京都市左京区)に行ってきました。
南禅寺や岡崎公園の近くにあります。
 
ここを訪れてみたいと思った理由は2つあります。
ひとつめは日露戦争開戦の直前、無鄰菴の敷地内洋館の2階で、日本の方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた歴史的な場所であるということ。 
 
 
 
 
イメージ 11もうひとつは、ここの庭園がアメリカの日本庭園・ 日本建築専門雑誌、「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が毎年決める、「日本庭園ランキング」で上位にランクインしているということを暫く前に知ったことからです。
(庭園ランキング1位は毎年、島根の足立美術館になっています)
 
庭園は7代目小川治兵衛の作庭で、明治時代を代表する庭園だとか。平安神宮の庭園もこの人によるものだそうです。近くに南禅寺や平安神宮などの有名な観光地がありながらも、ここを訪れるお客さんはとても少なく、静かな時間を楽しむことができました。
 
 
 
 
 
 
 
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東山を借景に緩やかな傾斜地を利用して、
琵琶湖疏水の水を取り入れ、庭園内を川が流れるように作られたお庭です。
水のせせらぎの音も傾斜の角度や石の配置を計算して作られたものだとか。
 
先日の香川県の栗林公園もそうでしたが、冬の庭園は他の季節に比べると
やっぱりちょっと寂しい感じがします。
 
母屋の庭が見えるお座敷で抹茶とお菓子をいただきました。
建物は木造二階建て。
別荘だったとしても山県有朋のような人の家にしては
随分質素なものに思えました。↓
 
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中身は・・・
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真盛豆(しんせいまめ)といわれるお菓子。
炒った黒豆に大豆粉と砂糖蜜を重ね、
その上に青のりをかけたものということです。
 
細川幽斎は「苔のむす豆」としゃれたそうです。
秀吉が開いた北野大茶会でも賞味されたといいますから、
戦国時代からあった和菓子なのですね。
 
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庭園内の池では鳥がのんびりとしている姿も。
 
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敷地の一番奥に造られた三段の滝。
石の組み合わせや水の流れなどがとても美しく、
もとからこんなふうになっていたのかと思うほど自然な造りで
人工的なものを感じさせませんでした。

 
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もうひとつ気付いたのが、苔の美しさです。
 
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冬場なのでやっぱりちょっと色鮮やかさに欠けますが、
それでも太陽の光があたっているところは、キラキラとしていて
とてもきれいでした。
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苔がきれいな梅雨の頃にもう一度戻ってきたいです。
 
この小道の先には小さなお茶室があり、その裏に
2階建の洋館があります。
 
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煉瓦造りの建物で内部も公開されていて
見学することができました。
 
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一階はこの庭園を作った小川治兵衛に関する説明や
山県有朋が遺した愛用品などが展示されていました。
 
階段を上がって二階に行くと・・
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こちらには山県有朋が愛用した書見台付きの椅子が置いてありました。
かなり古いものでしたが、ここに本人が腰かけていたのか~としばし想像・・・。
 
隣に無鄰菴会議が開かれた部屋がありました。
江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた
大変威厳を感じる立派な部屋でした。
 
椅子が4つ置いてありました。
明治36年(1903)年4月21日に
元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、
総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎がここに会しました。
 
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花鳥紋様の格天井も素晴らしいものでした。
写真に撮るのを忘れてしまいましたが、
床も寄木のもので凝った造りになっていました。
 
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有朋はこの庭園をこよなく愛し、多忙な公務の合間にも
夫人を伴ってしばしばここを訪れたそうです。
 
彼にとっては国の重鎮として過ごす日々の合間に、
ほっと心安らげる場所だったのかもしれませんね。
質素な建物もそれが理由なのかな、と帰りがけに思いました。
 
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京都府京都市左京区南禅寺草川町31
 
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