
限られた読書時間の中で、途中で何度も引き返し、
読み直して、また進む・・という読み方だったので
3週間かかりました。
読了して一週間になりますが、近代世界文学の最高峰、
といわれるだけあり、非常に構想が大きくて深く、
とても私の拙文ではまとめられないなあという感じです。(^_^;)
人間の神性と獣性、善と悪が描かれ、生と死の間に置かれた人間の
心の深い闇にギリギリまで迫った小説というか。
人間の本質があぶりだされていくような怖さを感じました。
物語は謎の父親殺しの嫌疑をかけられた長兄ドミートリーの裁判をめぐって
進行していきます。
内容的には信仰、国家と教会、貧困、憎悪、児童虐待、狂気、愛、
親子関係、兄弟関係、異性との関係など大変幅広いテーマを包含する小説です。
後半に行くに従って、ますます臨場感が高まり、文字通り、目が離せなくなる展開でした。
2巻目の帯の推薦文に「上巻読むのに4カ月、一気に3日で中下巻」と
書いてありましたが、私の場合もまさにそんな感じでした。
上巻の導入部はかなり退屈で、わかりにくくて、
読むのをやめておけばよかったかも、と思いながら頁を繰りました。
(実はこの作品に挑むのは2度目。前回は上巻で諦めてしまったのです。)
物語は中巻で一気に展開し始め、読んでいるほうは
あれ、あれ、あれ・・?というように引き込まれてしまいました。
父親を殺したのは実は長兄ではなく、その父親の私生児で、
カラマーゾフ家で使用人として働いていたスメルジャコフでした。
でも、それは完全犯罪といってよいくらいのもので
全ての証拠はドミートリを犯人とせざるを得ないようなものばかり。
裁判の前にスメルジャコフは次男イワンに手を下したのは自分だと教えます。
数々の人間心理の描写には読んでいて背筋が冷たくなるようでした。
足元にぱっくりと口を開けた深い深い闇を見てしまった恐ろしさというか、
大変抽象的な表現に終始してしまいますが、そんな気分にさせられるのです。
認めなくないけれど自分にも心の奥のどこかにこういう黒い部分があるかも
、

と思ってしまうのです。
そしてこの小説で描かれているテーマのどれもが
100年以上も昔のロシアとは思えないほど現代の日本社会が抱える問題を
描写しているかのようで、そこに感じる空恐ろしさもありました。
特に幼児虐待の話など最近の報道の内容?と思うようなことが。
さすが名著といわれるだけの作品だけあって凄い小説だと思いました。
それと同時に、全編を通して感じたのは
私にはこの小説の本質的な部分まで理解するのは難しいかな、ということです。
キリスト教的世界観の理解がこの小説の理解には不可欠であるように思えました。
理解といっても頭での理解ではなく空気のようにそれに馴染んでいるという意味で。
旧約、新訳聖書の事績についての知識はあっても単なる知識でしか
頭に入っていない自分としては、死ぬまでに何回か読みかえしても
多分、全てを理解するのは無理だろうなと思ってしまいました。
それでも前回は3分の1で脱落してしまったところを
今回は最後まで読破できたので自分としては、
それなりの進歩があったかなと思っています(#^.^#)
これを読んでしまうと、たとえば「あの人は○○だからいい人」
「あの人はXXだから悪人」というふうな
表層的な人物評はとてもできなくなる。
人間の心って非常に多層で深くて複雑なものだという思いを強くしました。
また物語のところどころに芥川龍之介や太宰治の小説で読んだような
話が描かれていることにも気がつきました。
彼らの小説はドストエフスキーに着想を得ていたのですね。
ピンポイントで読むなら上巻のゾシマ長老の言葉、
この小説の核といえる「大審問官」の下り、
中巻の次兄イワンとスメルジャコフの会話、
下巻での陪審員裁判での検事と弁護士の対決でしょうか。
大変読み応えがある部分です。
これは生涯、何度も手にとって読みかえしたい作品です。
そして次回は細切れ時間ではなく、まとまった休みが取れた時に
一気に読みたいところです。
追記:この小説は日本で随分人気があり、これまで13人の訳者に翻訳されています。
亀山郁夫さんの訳が読みやすく、これがかなり売れたそうですが、
事前に調べたところでは、この方の邦訳についてはかなり批判的な感想が多かったので、
ある程度の評価が定まっていると思われる原卓也さんの訳(新潮文庫)で読みました。