
順番が前後してしまいますが、先日、博物館に行く前に岸和田城を訪れました。
以前、別のところへ移動する時、たまたま岸和田を通過したのですが
その時にちらっと見た岸和田城の立派な石垣が大変印象に残っていました。

岸和田城の歴史は16世紀半ばに遡ります。
まだ羽柴姓の頃の秀吉が家臣中村一氏を岸和田城主とし、
紀州(和歌山)の根来寺や雑賀衆の抑えとしていました。
当時は京都の比叡山のようにお寺がとても力を持っていたのでした。
秀吉はその後、岸和田城を拠点として根来寺を焼き討ちし、泉州地域から
根来寺勢力を一掃、叔父にあたる小出秀政が城主となり、
岸和田の城下町や城郭が整備されたそうです。

天守閣は文政年間に落雷で焼失し、長らく再建されませんでした。
また明治維新の時に大部分が取り壊されたので
現在残されているかつての建造物は石垣と堀の一部だけなのだとか。
現在の天守閣は昭和29年になって再建されたものです。
天守閣の前まで行くと大きな枯山水がありました。
いただいたパンフレットで、これは庭園設計の第一人者である
重森三玲氏が設計監督されたものだということを知りました。
重森氏が設計された庭園は京都の有名なお寺に多くありますが、
岸和田でその作品に出会うとは思っていませんでした。

ちょっと高いところから撮影。
室町以前の城郭平面図をもとに、また諸葛孔明の八陣法を
テーマに大将を中心に、天、地、風、雲、龍、虎、鳥、蛇の各陣を配置したもの。
和歌山県沖の島の緑泥片岩、京都白川産の白砂を使っているそうです。
私はこの戦法のことを全然知らないので、ふーん・・と見ていただけですが、
お城の上階からその形を俯瞰できました。

天守閣は鉄筋コンクリート造りの三層。
1階に歴代城主ゆかりの品々の展示、
2階は町の資料館のような感じになっていました。
昔の岸和田は農地がたくさんあって酪農も盛んであったようです。
3階は展望台があり、海が見えます。
うっすらと、鳴門大橋や淡路島の島影がみえました。

戦国時代に大坂城を護るための機能を持っていたという淡路島の洲本城、
夏に淡路島を訪れた時には大阪と淡路島の距離感がよくわかりませんでしたが、
今回、岸和田側から淡路島を眺め、その近さに、ああなるほど、と思いました。
次はお城を出て、周囲の街並みを散策しました。

地図をみるとお城を中心に整然とした街並みが続いています。
これも後で調べて知ったのですが、城下の道は敵の侵入を防ぐように
ところどころが屈折して鍵状になっています。
こういうところは、現在はだんじり祭りの時の腕の見せ所になっているんですね。
江戸の末期には、吉田松陰が隠れていたこともあったそうです。
もう取り壊されてしまったとのことですが、その写真をこの通りにあった
資料館で見せてもらいました。
岸和田というとだんじり祭りの印象が強いですが、
市内には情緒を感じる街並みが広がっていました。