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夏の旅行2日目は下関へ。
火の山公園から青空の下の関門海峡を眺めた後、
赤間神宮を参拝しました。
石の階段を登ったところに竜宮城を模した水天門(写真)があり、
ここからは海が見えました。
 
関門海峡の幅が最も狭くなる壇ノ浦は、源平合戦で平家一族が滅んだ地です。
合戦で敗戦色が濃くなった時、平家の名だたる武将らが入水してここで果てました。
平家の女性たちも多く亡くなっています。
 
赤間神宮はこの時入水した安徳天皇を祀るお宮です。
平家一門のお墓もあり、源平合戦に関連する展示なども
宝物館で観ることができます。
 
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平家一門と共に海底に沈んだ三種の神器のうち
八咫鏡だけが発見され、この神宮に奉納されているそうです。
 
宝物殿では「平家物語」の本や、
合戦を描いた絵図などが展示されていました。
今になったらもっとじっくり観ておけば良かった、
と思うのですが、この日の空は晴天で、
非常に気温が高く、じっとしているだけでも
暑くてたまらない一日でした。
そのため宝物殿の展示も、なかなか集中して
観ることができず、館内をさっ・・と確認してきた程度でした。しょぼん
夏の旅行はこういうところが大変です。((+_+))
 
 
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 「平家一門之墓」
この奥には前後2列に14基の石碑と、
いくつかの五輪塔がありました。
 
平家の誰のお墓という説明書きが近くにあり、確認してみると、清盛の息子や孫にあたる武将の名前が並んでいます。
妻であった二位の尼のお墓もありました。
 
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かつては栄華を極めた平家一族のお墓が、都から遥か遠く離れたところで、それも
このような狭い場所で集合塚になっているのを見たら、なんだかちょっと切ない気持ちになりました。
 
その裏側(海に面した方)には廟がありました。こちらは幼くして亡くなった安徳天皇のお墓です。
 
 
 
 
平清盛の未亡人、時子(二位の尼)は
まだ6歳か7歳だった安徳天皇を抱いて、
「波の底にも都がございますよ」
となだめ、海に身を投じたといいます。
 
水天門が竜宮城の形をしているのは
歴代の天皇の中では最年少で崩御した安徳天皇の魂を
慰めるためなのだそうです。
 
この合戦の時、平家せん滅のため、
壇ノ浦で大活躍した源義経も
半年後には兄の頼朝から追われる身となり、
東北の地で果てます。
その頼朝も、落馬をきっかけに命を落としてしまいます。
世は常ならず。あらゆるものは変化し、移り変わる。
たけき者もつひには滅びぬ、 ひとへに風の前の塵に同じ、ということですね。(/_;)
 
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こちらは芳一堂。平家の怨霊に襲われた
琵琶法師、耳なし芳一のお堂です。
 
壇ノ浦では戦が終わってからも、
平家の幽霊の話が絶えませんでした。
合戦2ヶ月後に起こった地震も、
平家の祟りといわれていました。
 
今回初めて知ったのですが平家蟹という
人間の形相のような模様をした蟹がいるそうです。
平家の怨念がこもっていると
漁師からも怖がられていたとか。
 
ネットで「平家蟹」で検索したらいっぱい写真が
出てきます((+_+))。下関の水族館で見れるそうですが、
ネットの写真を見たら、「実物を見に行かなくて
良かったかも・・」、と思いました。((+_+))
 
 
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