
萩の城下町を一通り散策したあと、
松陰神社にいってきました。
ここは吉田松陰をお祀りした神社です。
敷地内には松陰が主宰した松下村塾の建物が残されていて
外から見学することができました。
吉田松陰については、とてもまじめで勤勉で勉強家、
でもそれだけなくて、
黒船がやってきた時に、その船に乗ってアメリカに
行こうと密出国を企てたほど行動的な熱い人、
という印象があります。
彼はジョン万次郎のようにアメリカにいって多くのことを
学び、それを日本のために役立てようとしたのですが
当時の日本ではその行為は重罪です。
密航は失敗に終わり、松陰は野山獄(萩にあった牢獄)に監禁されます。
その後、幕府に許され主宰したのが松下村塾。
木造瓦葺き平屋建てで8畳と10畳半、2間だけの私塾でした。
松下村塾では、松陰は大人子供関係なく、
また百姓、武士の身分を問わず塾生を受け入れました。
月謝は無料だったそうです。

松陰は弟子たちを門弟というより友人として扱い、
彼らのことを親身に心配し、どんな弟子からも何らかの
才能を見出し、それを誉めて激励し、彼らの自信や活力をたぎらせました。
なぜ清国がアヘン戦争に負けて欧米諸国の植民地になったのか、という時事問題や
なぜ信長は光秀に殺されたのかという問題を提起し、
あなたなら、そのときどうしますか? と塾生たちと深夜まで熱く討論を重ねていたとか。

松陰の思想は時に急進的すぎたものもあり、
それが災いして命を縮めてしまうことになったのですが(安政の大獄で処刑)
松陰の感化を受けた青年たちがのちに幕末、維新に活躍することになります。
松下村塾が開かれていたのはわずか3年ほどですが
その短い期間に、松陰の薫陶を受けて世に出た多くの人物が
日本を変えているのですから
その影響力というか、感化力は不世出の教育者といわれるだけあって
見逃せないものがあると思います。
萩の城下町を一日観光していて感じたのは
この地から出ている歴史上の人物の誰よりも
吉田松陰の存在感がとても大きいということでした。