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先ほどまでごろごろしながら、この本を読んでました。
 
著者のマイケル・サンデル氏はハーバード大学の哲学の教授を
されている方です。この本は小冊子くらいの薄さ。
311の大震災とその後の原発事故に関連して
日本、中国、アメリカの大学生と日本人のゲストを中心に
行われた討論を「特別講義」としてまとめたものです。
 
昨年3月の大震災の直後、その凄まじい映像は
またたく間に世界中に伝えられ、
大惨事に見舞われながらも日本人が示した
秩序と礼節の美徳は世界中から称賛を浴びました。
 
日本と政治的緊張関係が続いていた国々からも、
また日本よりも経済的に遥かに貧しい国々からも
次々と援助の手が差し伸べられました。
 
フランスの哲学者ルソーはかつて
こんなことを言っていたようです(括弧部分は抜粋)
「人道主義の精神は世界全体に広げると薄まり、弱まってしまうようだ。
私たちヨーロッパ人は日本で起きた災害に、
ヨーロッパを襲った災害と同じだけの衝撃を受けるわけではない。」と。
(地球の裏側という意味で「日本」を引用していたのは偶然!)
 
このルソーの言葉に対してゲストとして出ていた作家の石田衣良さんが
「もしルソーが今、生きていたらユーチューブで津波の
映像をみて、これは世界の果てのことではなく自分の隣で
起きていることだ」と思っただろう、と意見されています。
 
現代はグローバル化が進む中、
コミュニティの意味やその境界線が変わりつつあり、
地球の反対側でも日本の人々の痛み、苦しみを分かち合うことができる
時代に私たちは生きているということです。
 
ルソーが生きた18世紀はコミュニケーションの手段が発達しておらず、
コミュニティは大変小さな範囲で完結していました。
人々の関心はごく身近なものに対してのみ向けられていたのも
当然といえば当然かもしれません。
 
自分自身が帰属するもの、それは遠い昔は村単位だったでしょうし、
現代なら国単位のことかもしれません。
通信手段がすごいスピードで発達を遂げているここ数年のうちだけでも、
その意識は大きく変容しつつあるように私自身も感じています。
 
そんな時に起こった大震災とその後の大惨事、
そこで日本人が示した礼節を重んじる行動と思いやり、は
遠い地球の裏側でも共感を以て受け止められました。
 
今後、こうした意識(遠い国に住む人々への共感)は継続し、
世界の人々のグローバルな市民としての意識が深まっていくのか、
それともその共感や関心も時間とともに薄れてしまい
再び、人々の関心は自分の身近なものに戻ってしまうのか。
 
人々の意識がよりグローバルなものになって
文化や国家の枠組みを超えたものになり得るかと
著者は問いかけています。
 
あの震災をきっかけに私たちは何を学ぶべきか。
どのような方向性を持って生きるべきか。
そこで問われているのは、
震災とその意義について考えようとする私たちの
意欲と能力であると最後にまとめられています。
 
人々の考え方の枠組みが変われば、
戦争を自分の生活とは関係ないものとは思っていられないでしょうし、
途上国の貧困を見過ごすこともなくなるかもしれません。
原発事故の影響は一国の問題ではなく
地球全体の問題であるのです。
地球の各所で起こっている問題を各々の国の利益という視点からみるか、
人類全体の問題として見るかで、人々の行動は大きく変わると思うのです。
この問いかけについて、私自身も、今後も考えていきたいと思います。
 
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