イメージ 1「街道をゆく」シリーズの「韓のくに」紀行を読みました。
最近、話題になることが多く日本人の間でもめっきり存在感が
増しているお隣の国ですがやはり知らなかったことがこんなに
あったなんてと思う一冊でした。
 
歴史も古代まで遡ると、日本の文化形成に影響したのは
朝鮮半島だけでなく、中国の存在も大きい要因になっていますね。
 
日本に国家ができたのも、中国に随・唐という大国が出現したから。
それまでのほほんと米作りをしていた国も近隣に大きな国ができたことで
緊張感が増し、日本人としての意識が強まっていったと書かれています。
 
中国と陸続きであった朝鮮は、その緊張度は日本の比ではなく、
大国に対して、かなりの気遣いをしてきた歴史があるみたいです。
朝鮮半島が500年間、中国的儒教体制の模範国だったのも
本家の中国を立てることで、自分たちは安全、侵略しないという
身を守るための政治的な配慮があったからだとか。
 
唐と新羅の連合軍が百済に攻めてきて、唐の大将が残していった
「俺が百済を滅ぼした」という傲慢な碑文も、破壊されることなく
千数百年、保存されてきたということも中国への遠慮と気遣いが
並ならぬものだったことが伺えます。
 
世界史の中でも大きな国に隣接する国は常に侵略されたり、
いじめられたりして大変な目にあっています。
司馬さんも自分が朝鮮半島の住民だったら
他人を常に疑い、簡単に信用しない人間になっていたかも、と書いておられました。
日本人が外国に行って簡単に騙されてしまう人の良さがあるのも、
島国であった日本の幸せなのかもしれません。
 
また朝鮮半島に高句麗、新羅、百済という3国が成立していた時代、
新羅と百済の間に挟まれた任那(みまな)と呼ばれる小さい国がありました。
日本列島にまだ日本国家が成立していなかった頃、
さかんに倭人(日本人)がここへ往来して住みついてしまう例もあったとか。
この小さな国は他の韓人とは違った風俗を持っていたともいわれ
この人たちが北九州へ弥生式農法と文化を持ってきたと言われています。
 
任那国の名前にはいろんな表記法があって、その中に
駕洛国、加羅国という表記があります。朝鮮音では「Kalak」と呼ばれていたそうです。
日本語は最後に子音が来た場合は発音しませんから
「カラ」と発音されます。
あのアイドルグループの名前の由来ってここにあったのでしょうか。
 
「カラ」とは当初具体的には「駕洛国」を指していましたが
次第に朝鮮半島全体をさすようになり、
中国に随、唐という大陸が出現すると中国のことを「カラ」と
呼ぶようになったそうです。
江戸時代には舶来品のことを「唐物(からもの)」というように
「海外」を意味するようになったそうです。
そのもとは朝鮮半島の南にあった小さな駕洛国にあったのですね。
 
この国が日本の植民地だったという日本の学者もいれば
駕洛人こそ日本列島へ進出したと説く韓国人の文化人もいるそうです。
でもこの時代は一般の人々の間には国家という概念は乏しく
日本列島に住む人たちにとっては少し遠くに住んでいる
同系民族の人たちという程度の親しみを
抱くような感覚だったのではないのかなと思います。
 
アイドルグループにKARAと名付けた韓国側にはどんな
意図があったのでしょうね。
 
もうひとつ印象的だったのは韓国の国花についてです。
韓国の国家は「木槿(むくげ)」
満開になったと思ったら未練もないほどぱっと散ってしまう
日本の国花の桜と比べて、
一度しぼんでも更に咲き、夏から秋にかけて咲き続け絶えることがないそうです。
またこの灌木の枝は繊維が多く、折ろうとしても簡単には折れない。
 
歴史の中で常に周囲の国々からの威圧を受け
時には侵略される目に遭いながらも、絶えることなかった
朝鮮の人たちの民族的生命の強さを表しているものなのでしょう。
 
この本は学生時代にも読んでいたようで本棚に残っていたのですが
読みかえしてみると殆どがうろ覚えで記憶に残っていませんでした。
今度こそ忘れてしまわないようにメモメモしておこうと思います。^^;
 
 
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