イメージ 1日曜日はとても良いお天気だったので、ドライブに出かけてきました。国道166号線を西に向かって一時間半ほど走り、県境を超えて奈良県へ。大和盆地の東側に位置する大宇陀に到着しました。
 
大宇陀の歴史はとても古く、万葉の時代にまで遡ります。宮廷の狩り場であり、薬草が多く採れる地域であったようです。もっと時代が下ると、織田氏4代の城下町として栄え、江戸時代は天領となり、葛と薬で栄えました。 
 
                    
イメージ 4現在も時代を感じさせる古い町並みが残っています。当時のメインストリートだったと思われる一画が、重伝建地区に選定されており、商家が軒を並べています。建物は観光用に造り直した感じがあまりせず、どれも年月を経たものである様子。どっしりと規模の大きい家が多く、かつての繁栄ぶりが伺えました。
 
この町並みに残る江戸中期の建造物のひとつで、薬問屋を営んでいた細川家が歴史博物館として公開されています。イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
これは古い薬の引き出し。他にも昔の薬関係の資料などが多く展示されていました。 日本書紀の頃から宮廷で使われる薬草が採れたといわれる大宇陀や、近辺の地域からは有名な製薬会社が多く出ています。
 
この細川家の二女の息子(だったかな??)が藤沢家に養子に出され、
後の藤沢製薬(現在のアステラス製薬)の創業者になっています。
ツムラ(津村順天堂)、ロート製薬など全国的な知名度をもつ
製薬会社も創業はこの地域から。
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イメージ 8ロート製薬は最初の頃は「胃活」という胃薬を出していたそうです。なんだか現代に通じそうな名前ですね。 就活、婚活、胃活・・・?
猫イラズなど時代を感じさせる
商品の看板もあったりで
これを見ているだけでも
なかなか面白いものがありました。
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豪商の邸宅であっただけに内部も豪華な造りです。
殆どお客さんがいなかったので周りに気兼ねすることもなく、
ゆっくり、のんびりと見て周ることができました。
 
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土間には昔の台所が残されています。女中さんたちの住み込み部屋も。ここから履物を履いて裏に周ると、蔵があり、内部には藤沢製薬関連の展示がありました。
 
薬のことを知らなくても、昔の家屋や、古い看板など興味深い展示物がたくさんあり、なかなか楽しめましたよ。
 
 
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これは藤沢家ではないのですが、通りを歩いて見かけた家のひとつ。玄関に柵がしてある家が何軒かありました。簡単に開け閉めできる様子でもなく、閉ざされている、といった感じです。近くの資料館でいただいた資料に書いてあったのですが、これは「座敷玄関」といって、冠婚葬祭などの特別な時に使う出入り口なのだそうです。そういえば、こうした家には、柵のない出入り口も端っこのほうにありました。普段の生活ではそちらを使っているんですね。座敷玄関をもつ家では写真の柵ありの座敷玄関のほうを「ゲンカン」と呼ぶそうです。
 
かつては1000軒もの家屋がひしめき、大和の国では
大和郡山と並んで栄えたという大宇陀の街の
往時の華やかさの断片を感じました。
(続きます)
 
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