
津市の西部のほうだと思いますが、田んぼが広がる中に
ひっそりとある小さな塚・・という感じでした。
忠盛というのは平忠盛のことで、清盛のお父さんです。
伊勢の国は平氏の根拠地でした。
忠盛が生きていた頃はまだ貴族政治の時代で、
武士は貴人の警護役というような
低い身分に置かれていました。
伊勢平氏は伊勢の国、伊賀の国に勢力を張り、
海賊追捕などで武功をあげて、平忠盛は
武士としては初めて昇殿を許されることになります。
その息子の清盛は太政大臣にまで昇りつめ、

平家にあらずば人にあらず、とまでいわれた
平家全盛の時代を築きます。
ここは「平氏発祥伝説の地」といわれており、
この小塚は胞衣塚。胞衣(えな)が埋められて
いるという伝説があるそうです。
胞衣というのは漢字からして産着か何かかな?
と思っていたのですが、調べてみたら
「胎盤」のことでした

昔は生まれた子供の健康や立身出世を祈って、
胎盤をいれた壺を家の間口や土間に埋める
習慣もあったとか。
大きな桜の木が一本植えられています。
寒い曇り空の下だったので、どこか怖そうな雰囲気も。
少し遠くから胞衣塚を眺めてみます。
広さはバドミントンができるくらい?
ここが城館跡だったのでしょうか。そういう伝説もあるようです。
雑草などもなく、きれいに整備されていました。
直線道路に面しているので、通りかかる車が随分速く走っていく
音が聞こえてきます。

これは敷地の隅のほうにある産湯池。
忠盛が生まれた時にここの水で産湯を使ったといわれているそうです。
柵で囲まれていますがこちらも小さい池でした。


池のそばに植えられているのはナギの木。
ナギは「凪」にも通じ、航海の安全を祈って植えられることが多かったようで、権現さんと平家ゆかりの地にはよく植栽されているそうです。
平家は西日本の海を支配していましたし、権現さんといわれて思い出す金毘羅大権現は海の神様でした。

またナギの葉は脈が縦に多くあるので、両端を引っ張っても
簡単にはちぎれないことから男女の縁を守るためのお守りにも
用いられたそうです。
ちょっといびつですが、津市近辺で平家に関連する
史跡の位置を示した地図です。
何気なく通り過ぎている場所にも歴史が地層のように
幾重にも積み上がっているのだなあと思いました。

桜の頃にまた機会があったら行ってみようかと思います。
山桜だそうですが、随分存在感がありそうですね!
津市産品字産ヶ塚1437-1