ところが、実際に生活している場面では、放射線以外
に癌になる要素は山ほどあり、放射線の影響は埋没して
しまう傾向があります。
 
 たとえば、自己免疫力は精神の持ち方で大きく変わり
ますから、「不安」になっている人は平然としている人より、
癌になりやすいでしょう。ただそれは、深層心理の問題
なので、不安になっている人を非難することは残酷だし、
「不安にならないように」といっても何の意味もありません。
 
 理性や論理でコントロールできるような話ではないのです。
 
 だから、不安になったら「逃げる」というのが、唯一の解決法です。
恥ずかしがらずに堂々と逃げればいいのです。内心の不安を
隠して、表面だけ平然としている、という状態は無理があります。
 
 逆に、まったく不安を感じなかったら、自己免疫力が活性化
しているので、少々放射線濃度が高くても癌にはならない
でしょう。だから、平然と生きるのが自然です。
 
 私の家族が、原爆投下直後の広島で、高濃度に汚染された
食材を食べても健康を保てたのは、当時は誰も知識がなく、
不安になりようがなかったことも幸いしたと思います。
 
 3.11の後の日本では、多くの苦難や葛藤を体験して、
「自分の物語をしっかりつむぐ人」が増える、
のではないかと思います。
 
 皆の物語に付き合うのではなく、「自分」の独自性をちゃんと
認識できる。また、「自分の物語」に人を巻き込もうとしないで、
他人の独自性や、それぞれの物語を尊重できる、という事です。
 
 放射能が不安だったら、堂々と逃げる。不安を感じなかったら、
平然と生きる。どちらがいいという事ではなく、それぞれに物語が
あるのだから、それぞれの価値観や生き方を尊重して、共に
仲良く生きていく、という感じです。
 
 ひとことでいえば「多様性が受容される社会」ということになります。
 
 逆にいうと、いまの社会はまだ多様性が受容されていません。  
あらゆる人が、自分と同じ価値観に人を巻き込もうと躍起に
なっています。民主主義の多数決という仕組みそのものが、
多様性を許さずにひとつの意見に無理矢理に収束させますね。
 
 原発の推進派と反対派の議論も、TPPを巡る議論も、
相手を粉砕する論理展開がぶつかるばかりで、私には
あまり建設的に映りません。
 
 私は、いずれ原発は消滅すると見ていますが、それは
社会の価値観がGDPからGNHに自然にシフトするからであり、
反対運動が成功するからだとは思っていません。
 
 GDP至上主義というのは、明治以来の国是の「富国強兵」
の変形であり、多くの人がまだその呪縛にとらわれています。
その信者が原発を推進するのは当然であり、原発反対の
議論をふっかけても虚しいばかりです。
 
 ただ、社会は着実に進化しており、若い人ほどGNH
大切さを理解しています。いずれGDP信奉者が死に
絶えれば、原発は自動的になくなります(もっともその前に、
私自身がいなくなるでしょう)。
 
 国民投票などで強引に原発廃止に持ち込むという
選択もありますが、戦いの歪が残りそうです。多様性が
受容された社会では、急激な変革よりも、ゆったりと
スムースなことが好まれます。
 
「佳き事はカタツムリの速度で…」
(マハトマ・ガンジー)
 
   「すべての人を自分と同じ価値観に塗り替えよう」
という傾向は誰でも持っているように見えますが、
自我の発達の階層では「後期自我」に固有の性質です。
 
 ただ、いまの社会の成功者、つまり指導的立場の
ほとんどの人が「後期自我」のレベルにあるので、
あたかもそれが人間の一般的特性のように誤解されて
います。
 
   「後期自我」の手前の「中期自我」のレベルの人は、
自らの価値観を押し殺して、何とか社会の価値観に
合わせようとします。自分ひとりだけ他と違っている
事に耐えられないのです。
 
   「自分の物語をしっかりつむぐ人」というのは、
「中期自我」や「後期自我」のレベルから一歩抜け出せた
人を指します。
 
   一般には、放射能の不安から逃げ出した人より、
平然と生活している人の方が人間的な成長を遂げている
という印象がありますが、それは誤解です。
 
   内心の不安を押し殺して平静を装っている人は、
どちらかというと「中期自我」だし、逃げ出した人を
批判したり、あざ笑ったりする人は「後期自我」です。
 
   「自分の物語」を生きる人は、「自分の内面」に
忠実であり、他人との比較はしません。不安だったら
堂々と逃げるし、不安を感じない人でも、感じている
人の気持ちに共感できます。自分と違う価値観の人が
そばにいても居心地の悪さを感じません。 
 
   社会が順調なら、内面の葛藤を戦いのエネルギーに
変えて、ひとつの方向へ猪突猛進する「後期自我」や、
リーダーに盲目的に従う「中期自我」が大いに
活躍するでしょう。
 
   事実、彼らの献身的な働きで日本の経済・産業は
大発展して、いっときはGDP世界2位の経済大国に
のし上がってきました。私自身も、若い頃には
猪突猛進の猛烈企業人のひとりであり、明らかに
「後期自我」のレベルでした。
 
   ところが、大災害や、原発事故が起き、予定調和の
世界が崩れると、「中期自我」や「後期自我」の人たちの
行動は浮いてしまいます。「自分の内面」に接地できて
おらず、「国の物語」や「会社の物語」など「他人の物語」
を生きているからです。
 
   大災害が「社会の変革」のトリガーになるのは
そのためです。先の見えない大混乱の中で、人々は
まず「自分の物語」を探すでしょう。首尾よく
見つかれば、いかなる状況の中でもしぶとく
生きていけますし、的確な状況判断が下せます。
 
   2012年も、ヨーロッパを震源とする金融崩壊の
危険性があり、極端な円高から日本の産業界が
大打撃を受けるかもしれず、日本の国債の金利が
急上昇して、日本自身がギリシャ、イタリアに次ぐ
ソブリンリスクに瀕するかもしれません。
 
   しかしながら、世の中がどうなろうとも、
「自分の物語をしっかりつむぐ人」は揺らぐ
ことはありません。その人が経営する企業も
びくともしないでしょう。
 
(以下省略)