
お城跡の西側を南北に走る道は御徒町武家屋敷群と
いわれる昔の武家屋敷があり、反対の東側には
河原町妻入商家群という商人の館が軒を連ねています。武家屋敷のひとつが、資料館として見学できるようになっていて、そちらを見た後、篠山城、その後で東側の古い町並みの散策という順番で観光してきました。
順番が前後しますが、まずはお城の記事です。
篠山城跡は四角形のお濠に囲まれています。
写真は大手門の反対側あたりのお濠ですが、
ゆったりと水を湛えたお濠は鬱蒼とした木々に縁取られていました。

広い駐車場があり、そちらに車を停めて、
大手門のほうへ。


篠山城は天下を盤石なものにしようとしていた
徳川家康の命により1609年に築かれたお城です。
旧豊臣大名の経済力を弱めるため天下普請とされ、
このとき、15カ国20の諸大名が動員されました。
わずか一年の突貫工事でできたお城であり、この場所は
固い岩盤であったので、かなりの難工事だったようです。
大坂夏の陣を経て、江戸幕府が安定してからは
山陰道の要衝にある篠山城は西国諸大名のおさえの城として
位置づけられます。
このため、代々の藩主は徳川家の信頼が厚い譜代大名が続いています。

こんなふうに草に覆われた石垣も情緒があっていいですね。
城跡には再建された大書院がありました。
時間的に間に合わなかったので内部の見学はできませんでしたが、
築城時の書院も京都二条城の御殿を参考にして建てられ、
内部には狩野派絵師による豪華な障壁画で飾られた部屋が多くあったそうです。

大書院の裏側には御殿跡があります。

御殿は大書院のように復元できる資料が残っていないようで
現在発見されている間取り図の中で一番古いものを
もとに各部屋の間取りが地面に再現されていました。


それぞれの部屋跡に「茶道詰所」「奥御取締」などプレートが
埋め込んであります。
華やかな御殿がここにあった時代を想像してしまいますね。

御殿跡の向こうにあるのが天守台。
そちらから大書院を眺めてみるとこんな感じ。

ここは天守台。しかし、実際には天守は築かれませんでした。
石垣や濠などお城の造りがあまりにも
堅固すぎたため、建設中止になったのだとか。