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旅行2日目、午後は松江市内に戻り、松江城の観光に行きました。
 
現在、全国に当時のまま残っている天守は12しかありません。
これは明治維新の時に出された廃城令で全国の多くのお城が壊されたこと、
またその後の火災や戦災で失われたためです。
松江城は山陰唯一の現存天守です。
廃城令が出た時、当時の有志が奔走して取り壊しを免れました。
 
お城は1611年、堀尾吉晴が5年かけて築城。
次の城主、京極忠高の後、徳川家康の孫、松平直政が移封され
出雲国は10代234年間松平氏により治められました。
 
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お濠に囲まれた松江城の敷地はかなり広く残っていました。築城工事のうち3年間を石垣に費やしたとかで石垣もとても立派でした。石垣積みは大阪から石工(穴太衆)を招いて構築させたそうです。
 
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大きなクスノキも!樹齢は推定350年とありました。
 
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天守閣に向かって歩いている時、こんな人にもばったり会いましたよ!
 
松江は風が強く、気温が高くても比較的凌ぎやすいと思いましたが、それでもこの日は雲ひとつない青空。
太陽の光ががんがんと降り注ぐ中でこれだけの重装備はかなり、キツイのではと思いましたが、写真撮影をお願いしたら、武者言葉でお返事いただき快くポーズを取ってくださいました^^
 
 
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こちらには小泉八雲文学遺跡とありました。
小泉八雲が松江に滞在中、ここは松江中学校の運動場であったらしく、
この場面は彼の作品にも描かれているそうです。
八雲もここを通って通勤していたそうですよ。
地図をみたらお城の近くに八雲の旧居、記念館がありました。
 
松江城の天守は別名千鳥城とも呼ばれています。
結構大きな天守だと思いましたが、この記事を書く前にいろいろ調べてみたところ
姫路城に次ぐ規模だということがわかりました。
 
構造的にも実質は五重天守であり、他には姫路城と松本城のみがあるとのこと。
安土城や豊臣秀吉が築いた大阪城と同じで正当な天守の形を受け継いでいるのですね。
また古さとしても現存天守の中で4番目に古いものであり、こうしたことから
現在は重要文化財とされている松江城を国宝にしようという運動が行われているそうです。
内部には当時そのままの井戸や石落としなどもありました。
 
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柱はよく見ると寄木造り。一本松の柱の外側に板を揃えて寄せあわせ
それを鉄輪で締めて太い柱にされています。
このほうが普通の柱よりも力学的に強いものだそうです。
 
当時そのままの柱や床など、やっぱり再建のものとは違う魅力があります。
展示も鯱鉾や梁、鬼瓦など当時の建築材料、
兜や甲冑、書状、お殿様が使っていた食器類などがあり、
大変興味深かったです。
 
兜もたくさん展示されていました。兜は戦闘防具でありながらも、
日本人独特の美意識が浸み出たもので
着用者の性格を一番よく反映したものという説明がありましたが、
ひとつひとつを見ているとなるほどと思います。
現在でも五月の節句に男児の勇気と健康を願い、床の間に飾られる
めでたいものですが、戦闘道具でありながらも芸術品の域に
達しているものですね。
 
本当はもっとじっくり見たかったのですが、内部はムシムシととても暑く、
集中力もなくなってきて、途中からは階段を次から次へ上へ向かいました。
 
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この階段の写真は心霊写真じゃないですよ。階段の写真を撮ろうとした時に子供が走り込んできて写ってしまったものです。
 
階段は桐でできています。
板の厚さ10センチ、幅1.6メートル。
防火や陳腐を防ぐために桐を使ったもので
これも他のお城では見られないものだそうです。
 
とにかく蒸し暑くてたまらなかったので
最上階の展望楼へいきました。
 
 
 
 
 
 
 
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松江の街が一望できます。
風がとても気持ち良い~。
 
松江の街を眺めつつ、しばし、ここで風に吹かれ
それでこの日の観光は終わり。
もう、暑さに負けました・・・
 
松江城の敷地はとても広く、また周囲には上にも書いた
小泉八雲に関する記念館や、武家屋敷、歴史館など
見どころもたくさんあったのですが、体力が尽きてしまいました。
 
だから全部のうち多分20%くらいしか観ていない気がします。
そういうわけで松江城は是非、再訪したいお城ですね!
 
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