
吉川英治の親鸞(全3巻)を読みました。
浄土真宗の開祖、僧侶ながら妻帯したひと、
教行信証、歎異抄・・などが連想的に出てくるけれど
あまり詳しいことは知りませんでした。
実際、親鸞は自伝的記述を殆ど残していないのか
その生涯については不明確なことが多いらしいです。
彼が生きたのは平安時代の末期~鎌倉初期にかけて。
父親は公家、母は源氏の血を引き、源義経とはまたいとこだったようです。
親鸞が子供の頃はまだ平家全盛であったので
源氏の血をひいていることがのちに災せぬようにと、
心配した叔父が彼を9歳でお寺に入れてしまいました。
京都青蓮院で後の天台座主慈円のもとで得度し、
その後比叡山にのぼり、ここで20年修業を積みます。
比叡山は俗界以上に腐敗していました。
そんな中、信仰の迷いに疲れた時に、
法然上人と出会い、その弟子となります。
真剣に生きていた人でしたから、
彼の人生にも常に悩みが付きまといます。
信仰のあり方に悩み、好きな女性ができてしまってまた悩む。
武門の血をひいているだけに激しやすい性格を秘めており、
その苦悩jの度合いもまた激しい。
僧侶の身で妻を娶ったり、庶民に寄りそう生き方をする親鸞には
既存の仏教界から非難、迫害が止みません。
誰にでもわかりやすい教えを説く法然や親鸞の登場によって、
一般庶民の心には変化が生まれます。
これを危惧したのが旧仏教界。
何においてもそうですが、新しい体制が生まれる時に
旧体制側の人間は相当の反発を見せます。
仏教においても同じくで旧仏教界からの讒訴により、
法然は四国へ、親鸞は越後へ流されてしまいました。
次から次に彼を襲う苦難にもめげず、親鸞は民を救う道を
説き続けます。前半は親鸞自身の苦悩の人生が、
後半は庶民の生活の中に足を踏み入れていく親鸞の姿、
また悪人や武士らが親鸞と接することで発心し、
弟子になっていく姿が描かれています。
そんなに簡単に発心するのかな?と思わないでもありませんでしたが、
荒んだ生活から心が救われるとか、人間が別人のように生まれ変わる
というのはこんなことかな?とも思いながら読み進めていきました。
時代背景的にはこれより前に読んだ、新平家物語と同時代だったので
時代の流れが把握しやすかったです。
5月に京都へ親鸞展を観に行ったのですが、この本を先に読んで
いればもっと理解が深まったのにとちょっと残念でした。