7月10日の日経新聞文化欄に、平泉の世界文化遺産登録に関連して
「甦ったこころ」と題し、作家の高橋克彦氏がコラムを書かれています。
 
平泉を築いた藤原清衡は約1000年前の人です。
幼いころから身内同士が殺し合う戦乱の渦を生き抜いてきた清衡は
後に奥州の支配権を握ったとき、
憎しみや差別のない万人の平等と戦のない国を目指し
浄土思想を軸とした国を実現しようとした、と高橋氏は述べています。
 
最も激しい戦場でもあった平泉に現世浄土を築こうとしたのは
戦で命を落とした多くの人々の鎮魂のためだったといいます。
 
3年前、平泉は世界遺産登録を申請していたのですが、この時は登録は見送られました。
その理由というのは日本政府がユネスコに提示していた
「浄土思想を軸とする国造り」という清衡の理想は、あまりに理想論すぎて
世界がそれを受け入れることに懐疑的だったからだろうと高橋氏は書いておられます。
 
支配者が民と平等で共に国づくりに励むなんて、理想ではあるけれど、
現実にはありえない。そしてその証拠を示す史料もない。
 
1000年前の世界はどこでも王侯貴族が権力を握り、富を独占していました。
あまたの庶民は牛馬のごとく苦役に使われ、平等の概念などありませんでした。
その同時代に日本の辺境に理想国家が存在したとは考えられなかったのでしょう。
 
しかし、今回、平泉が世界遺産に登録されることになったのは
大震災の後の被災地の人々の言動によるものだったと思うと
高橋氏は書いておられます。
 
これも、そのまま引用すると
「自分が苦境にありながら他者を案じる優しさ。
ともに手を携える暖かな心。
苦難に無言で耐える強さ。
上も下もない平等のまなざし。
あらゆる生き物に対する愛情。
それらがメディアを通して世界に伝えられた。
岩手、宮城、福島、ことごとくが清衡の拵えた平泉文化圏の中にある。
世界は知ったに違いない。清衡の拵えた国は滅びたがその心は今も
変わらずその地に暮らす人々の胸の中に残されているのだ、と」
 
メディアを通じて世界に報道された
被災地の人々の言動はどのような史料よりも、
「万人が平等で互いに励ましあって生きていた清衡の時代」
この地に存在したということについて、
世界を納得させるに十分だったのでしょう。
 
記事を読んで、ジーン・・とするものを感じました。
そして、この心がいまも残る東北はかならず復興できると思いました。

生きるものすべてが平等で平和に暮らせる世の中を願って
築かれた平泉。世界遺産登録をきっかけに、
戦争を倦み、平和と平等を大切にする心が
もっと世界中に広がってほしいと思いました。
 
 
イメージ 1