
正面の柱間が33あることから三十三間堂と呼ばれていますが
正式には「蓮華王院」。
平安時代末期、平清盛が後白河上皇に造進したものです。
少し前に読んだ新平家物語では、この二人は対峙する龍と虎と
例えられていました。
後白河上皇の人物がこんな表現からも推し量られます。

一度火災で焼失していますが、その後再建。
現在の建物も700年前のものとのこと。
内部は残念ながら写真撮影禁止です


堂内は大変長く、中央の大きな仏像を中心に
左右に各500体、合計1001体の仏像が置かれています。
どの仏像も細部まで繊細に彫られていて
それが1000体も並ぶさまは圧巻でした。
仏像が完成した当時、燦然と黄金の光を放っていたこの堂内は、それこそこの世のものとは思えなかったでしょう。

建物内部もいまは年月を経て、シックな黒色ですが
完成した当時は鮮やかな極彩色に彩られていたそうです。
天井の梁をみると、ほんの僅かにその名残が伺えます。
これもウエブサイトからお借りした写真ですが、雷神像。
俵屋宗達の風神雷神図のモデルになったものだそうです。
雷神は太鼓を打ち、風神は風の袋を抱えた神様というイメージを決定づけた鎌倉彫刻の名品。
鎌倉彫刻の表現力はその躍動感といい、細部のこだわりといい素晴らしいですね。これらも国宝だそうです。
ところで、三十三間堂では多分関東からと思われる
修学旅行生と多く行き交いました。
最近の修学旅行は昔のような団体行動ではなく、
少人数で移動するスタイルになっているのですね。
自分たちで行きたい場所を選んで出かけているようです。
私たちの時代の修学旅行はそれこそ何台ものバスが
連なって、ぞろぞろと数百人単位で移動するものでした。
自分の意思で選んだ場所に行くわけでもないので
結局、行ったところはなんにも記憶に残ってないのですよね。
そんなことを思い出しながら彼らをみていると
お喋りばかりに夢中になっていた自分たちと違って
熱心に仏像に見入ったり、説明を聴いている学生さんたちが
多いように感じました。