
京都市東山区にある養源院にいきました。
三十三間堂の近くにある小さなお寺です。
秀吉の側室淀殿が父浅井長政供養を願い創建されたのが
始まりですが、その後、火災で焼失。
後に徳川秀忠の正室崇源院(お江)の願により伏見城の遺構を用いて
再建されたのが現在残る本堂です。

三十三間堂の賑わいをよそに
こちらの境内はひっそりと静か。
木々の緑がとてもきれいでした。
拝観料500円を払って中に入りました。
本堂の中は薄暗く、ちょっと怖い感じ。
順番に部屋を移動しながらカセットテープで
説明を聴かせてもらいました。
本堂は関ヶ原の戦いの時、伏見城を死守し
亡くなった鳥居元忠らの将士の霊を弔うために
再建されたもの。
この時、戦いで亡くなった人々の血が残る床が、天井に使われています。
伏見城の遺構は京都の他のお寺にもありますが、
養源院の天井は他のと比べても生々しく、
おどろおどろしい戦場の場面が目の前に浮かんでくるようです。
手の形や、顔の部分など結構はっきり残っています。
これは戦後、すぐに処理が進まなかったので血が床に沁み込んでしまい、
洗っても洗っても落ちなかったからだとか。
家康の忠臣であった鳥居元忠が自刃した跡が残っていました。
お寺の方が細長い棒で、「これが頭の部分、肩がここ、片足はこちらで・・」と
説明してくれます。
鳥居元忠は足が悪かったようで、その最期にも両足を揃えることができなかったのか
右足を外に投げ出すような形で倒れているようでした。
小さい頃からずっと傍で仕えてくれた忠実な家来を死なせたことは
家康にとっても大きな悲しみだったことでしょう・・・。
彼らの英霊を慰めるために俵谷宗達がこのお寺の襖や杉戸の絵を
描きました。
内部は撮影禁止だったので写真が一枚もありませんが、
拝観料を払った時にその杉戸絵が印刷されたハガキを一枚もらいました。

私がもらった絵ハガキは獅子の絵のものでしたが、
他には白象、麒麟などの絵がありました。
平筆で描いたというこれら動物の絵は
曲線がきれいで、どれも素晴らしい絵です。
こんな立派な作品があるなんて知らずに
養源院に行ってしまいましたが、
これら宗達の絵を見るためにわざわざ来る人も多いそうです。
血天井と宗達の絵の説明を受けた後、
太閤秀吉が学問所とした牡丹の間に移動。
その時、歩いた廊下は鴬張りになっていました。
歩くとキュッキュッ・・と鳴ります。
江戸初期の大工・彫刻師である左甚五郎が造ったものと
言われています。
あの石川五右衛門が捕まったのはここだったとか。
天下の大泥棒もウグイス張りにひっかかってしまったのですね。
石川五右衛門はその後、釜ゆでの刑に処せられてしまったのでした。
血天井の生々しいインパクトで、
俵屋宗達の絵の印象がやや薄れてしまったような気もするのですが
小さいお寺ながら見どころたくさんでした。
ホラー度 

高いめですが。


