
今週はリンボウ先生のイギリス関連のエッセイを二冊読みました。
「イギリスはおいしい」では、おいしいはずはないイギリスの料理。
食生活を通してみえてくるこの国の国民性、
実はとても魅力的なこの国の文化がわかりやすく描かれています。
「イギリスは愉快だ」ではマナーハウスでの生活、そこで知り合った
ボストン夫人との交流はとても心温まるものでした。
私自身もイギリス人の家庭に
数カ月間ホームステイしていたことがありますが
著者も書いているように
殆ど毎日同じ料理の繰り返し、
食器を洗っても泡を流さずそのまま乾燥させるとか、
旅行先まで大きなパンを持っていく話とか
ほんとにしょっちゅう紅茶を飲んでいるとか、
こんなことも、あんなことも確かにあったな~と、
今となっては懐かしいことを思い出しました。
著者の考察の中で特に興味深かったのは
日本にたくさん入り込んできている西洋文化について、
「外来文化の受容というものは少なくとも無条件に為されるものではない」と
言っているところです。
折口信夫の言葉として
「新しい事柄、モノを受け入れる場合、必ず受容側にそれとなんらかの意味で
相似性をもった固有在来の現象がなくてはその受容された外来文化は
定着もしくは土着化しない」と書かれてます。
例えばクリスマスというイベントについても、
クリスマスツリーは日本の場合、祭の神が依りつく「依り代としての樹木(門松、七夕の竹など・・」、
クリスマスケーキは正月の鏡餅、仏壇の供物など「神へのたむけ」、
クリスマスプレゼントは日本でいえば中元、歳暮、見舞い、返礼etcなど
常に贈りもの大好きな日本人の伝統があった。
このような相似性が日本には既に伝統として存在していたから、
クリスマスというイベントが定着したということです。
(クリスマスというイベントは日本人の中にしっかり根を張りましたが
人口の3分の1がクリスチャンというお隣の韓国と違って
日本でキリスト教は殆ど広まりませんでした。
これは、木にも石にも川にも(それからトイレにも!)神様が存在すると信じてきた
日本人には、唯一絶対の一神教はハードすぎて受容できなかったのかなと
思ったりしました。)
また外国から入ってきたものがどのような形で受容されていったかということなど。
海外では薄くて、トーストするとカリカリになるパンが日本の食パンになると
白くてもちもちふわふわ。
これは白くて水気がたっぷりある「ご飯」に通じるものがあるから、
それに合わせてパンも変形?していったとか。
アンパンや具入りパンがなぜこれほど一般的になったかというと、
形としては、それ以前に日本人の間には饅頭という食べ物があったということ、
また惣菜をご飯という主食で包んで握る、「おにぎり」があったから・・。
読んでみてなるほどと思うことがたくさんあり、
食いしん坊の私にはこのへんは、とても読むのが楽しいくだりでした。^^