新平家物語、11~13巻を読み終えました。
4月は殆ど読書の時間がなく、連休中にまとめて読みました。
4月は殆ど読書の時間がなく、連休中にまとめて読みました。
平家都落ちの後。
一の谷にいた平家軍は義経軍から不意打ちを受けます。
有名な義経の「鵯越の逆落とし」の場面です。
一の谷という陣地は平家にとって有利であり、
人数も源氏勢に比べて圧倒的に平家が優位であったのですが
義経の少人数による作戦に混乱し、平家の人たちは
心理的に動揺をきたし、敗走するみじめな結果になってしまいます。
一の谷にいた平家軍は義経軍から不意打ちを受けます。
有名な義経の「鵯越の逆落とし」の場面です。
一の谷という陣地は平家にとって有利であり、
人数も源氏勢に比べて圧倒的に平家が優位であったのですが
義経の少人数による作戦に混乱し、平家の人たちは
心理的に動揺をきたし、敗走するみじめな結果になってしまいます。
この戦いでは平家方の有力な武将が戦死することになります。
みんな身内ですから、残された人々が
どれほど心細い状態に置かれたことか。
みんな身内ですから、残された人々が
どれほど心細い状態に置かれたことか。
織田信長が愛した幸若舞「敦盛」はこのひとの名前です。
熊谷直実がしばらく後、世をはかなんで出家する要因の
ひとつになった出来事でした。
清盛の息子の一人、重衡は生田口で捕えられ、
身柄を鎌倉に移されます。この人は平家がまだ京都にいたころ、
東大寺をはじめ奈良のお寺を焼いてしまったことで
南都の僧たちから恨みを買い、
後に彼らによって処刑されることになります。
かつては栄華を誇った人々が次々と儚く世を去っていきます。
身柄を鎌倉に移されます。この人は平家がまだ京都にいたころ、
東大寺をはじめ奈良のお寺を焼いてしまったことで
南都の僧たちから恨みを買い、
後に彼らによって処刑されることになります。
かつては栄華を誇った人々が次々と儚く世を去っていきます。
一の谷から屋島まで一年、頼朝はまた義経を差し向けます。
義経はひとの意表をつく戦法に長けた戦上手ですが
直情径行型な人物です。
義経はひとの意表をつく戦法に長けた戦上手ですが
直情径行型な人物です。
小説の中では政治的な駆け引きが苦手であり
部下思いで、敵の犠牲のことまで
同情する優しい人物に描かれているので、
彼に冷たい頼朝に比してやはり読む側の気持ちは義経に
与してしまいます。
部下思いで、敵の犠牲のことまで
同情する優しい人物に描かれているので、
彼に冷たい頼朝に比してやはり読む側の気持ちは義経に
与してしまいます。
抜群の軍事才能をもつ義経は平家があるうちは
頼朝にとって有用ですが、
平家滅亡という目的が果たされた後にはもはや
無用となります。こんな結末を知りながら読むだけに
勝者の側を読んでいてもまた哀しい。
ただこれはまだもう少し後のこと。
源軍に追われて、「これが最期の夜」、
と平家の人々が一族で管弦の宴を催する場面。
また平軍を追い落とした後、柱や壁に書き残された
平家の公達らの雅やかな和歌を義経が見つけた場面。
武骨な東国武者と雅な都で暮らしてきた平家の人々の生き方の違いを感じました。
こうした場面の数々、吉川英治氏の格調高い文章で読むと、
一段と心に響くものがあります。
こうした場面の数々、吉川英治氏の格調高い文章で読むと、
一段と心に響くものがあります。
屋島でも惨敗した平家は最後の頼りとして
更に西へ向かいます。
更に西へ向かいます。
敗色の色が濃い平家、この頃、唯一政治的見識があった
清盛の義弟時忠は安徳天皇や女性たちの命を守るため、
義経側と和平工作をしようとします。
これが成功していたらもしかして壇ノ浦の女性たちの悲劇は
避けられたかも・・・と思います。
清盛の義弟時忠は安徳天皇や女性たちの命を守るため、
義経側と和平工作をしようとします。
これが成功していたらもしかして壇ノ浦の女性たちの悲劇は
避けられたかも・・・と思います。
一方でこんな時には平家の総領、宗盛の器の小ささが目立ちます。
平穏な時代ならなんとか家を守れる二代目ですが
彼のような人物がお家の非常時に総領の立場に置かれたこと自体が
悲劇を更に助長してしまったのかも。
平穏な時代ならなんとか家を守れる二代目ですが
彼のような人物がお家の非常時に総領の立場に置かれたこと自体が
悲劇を更に助長してしまったのかも。
一連の出来事は清盛が世を去って僅か4年のこと。
諸行無常とはまさにこのことなのでしょう。
長編小説もあと3巻になりました。
今月くらいには読み終われるかな。
諸行無常とはまさにこのことなのでしょう。
長編小説もあと3巻になりました。
今月くらいには読み終われるかな。