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松阪城の裏門跡から続く石畳の両脇には
今も武家屋敷が残っており、
御城番屋敷と呼ばれています。
 
松坂は江戸時代を通して紀州藩に属していました。
この屋敷はお城の警備をしていた紀州藩士が
住居としていたところです。
 
どこのお城もそうですが、
往時のお城の敷地は今よりとても広く、
ここも敷地の一部、この石畳の終わりが搦手門であったようです。
 
イメージ 2これは御城番屋敷の横にある土蔵。
江戸時代末期に建てられたもので
松坂城関係の建物では
唯一現存しているものです。
 
外観のみ見ただけですが
とてもきれいにメンテナンスされています。
 
この土蔵の横には小さな神社が
ありました。
紀州藩初代藩主、徳川頼宣公(南龍公)を
お祀りした神社だそうです。
 
イメージ 3御城番屋敷には現在も紀州藩士の子孫の方々が
住んでおられるとのことですが
今回、数年ぶりに歩いてみて、
随分空家が増えていることに気付きました。
 
槇の向こうにみえる木造の家は
古いけれども、気品を感じる佇まいです。
 
写真には見えない横側に小さな庭があり、
それぞれの家の庭には大きな木が
一本植えてありました。
 
 
空家が増えているのは、建物が老朽化しているからなのか、
それともやっぱり私たちみたいな観光客が始終、
家の前を往来したら住人としては居心地が悪いからでしょうか。
 
イメージ 4石畳を終わりまで歩くと松阪工業高校に至ります。松阪工業高校は、1902年、全国唯一の応用化学専攻の学校として設立されました。
 
その昔は北高と呼ばれていました。トヨタ自動車の元社長、奥田ひろし氏はこの北高のOBです。(⇒卒業後は一橋大学に進まれました)
 
校門の脇には桜の花が見事な枝を広げています。その奥にみえる赤壁の校舎を近くまで観に行ってみました。
 
 
 
イメージ 5説明によると明治41年(1908年)に
製図室として竣工されたものだとか。
 
壁が赤色で塗られているのは
当時は実験に使用する硫化水素の影響で
塗料が黒変すると考えられていたため、
変色しない朱(硫化水銀)で塗られていたのだそうです。
 
100年以上も前の建物が今も残っているとはすごいですね。
 
 
 
御城番屋敷の石畳の端、そして工業高校の横にあるのが
松阪神社の鳥居。
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参道両脇に桜の花が咲き、とてもきれいでした。
他の観光客の人たちも
ここで写真を撮っていました。
この記事を書く前に調べて、初めて知ったのですが
1000年もの伝統をもつ神社だそうです。
商売の神様、病平癒の神様など多くの神様が
お祀りされているそう。
お参りしたかったのですが、ここまで来た時に
ぽつぽつ・・・と空から雨が。
 
残念ですが、観光はここで切り上げ。
石垣に沿って駐車場まで歩いて戻りました^^
 
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