
松阪城の裏門跡から続く石畳の両脇には
今も武家屋敷が残っており、
御城番屋敷と呼ばれています。
松坂は江戸時代を通して紀州藩に属していました。
この屋敷はお城の警備をしていた紀州藩士が
住居としていたところです。
どこのお城もそうですが、
往時のお城の敷地は今よりとても広く、
ここも敷地の一部、この石畳の終わりが搦手門であったようです。

江戸時代末期に建てられたもので
松坂城関係の建物では
唯一現存しているものです。
外観のみ見ただけですが
とてもきれいにメンテナンスされています。
この土蔵の横には小さな神社が
ありました。
紀州藩初代藩主、徳川頼宣公(南龍公)を
お祀りした神社だそうです。

住んでおられるとのことですが
今回、数年ぶりに歩いてみて、
随分空家が増えていることに気付きました。
槇の向こうにみえる木造の家は
古いけれども、気品を感じる佇まいです。
写真には見えない横側に小さな庭があり、
それぞれの家の庭には大きな木が
一本植えてありました。
空家が増えているのは、建物が老朽化しているからなのか、
それともやっぱり私たちみたいな観光客が始終、
家の前を往来したら住人としては居心地が悪いからでしょうか。

その昔は北高と呼ばれていました。トヨタ自動車の元社長、奥田ひろし氏はこの北高のOBです。(⇒卒業後は一橋大学に進まれました)
校門の脇には桜の花が見事な枝を広げています。その奥にみえる赤壁の校舎を近くまで観に行ってみました。

製図室として竣工されたものだとか。
壁が赤色で塗られているのは
当時は実験に使用する硫化水素の影響で
塗料が黒変すると考えられていたため、
変色しない朱(硫化水銀)で塗られていたのだそうです。
100年以上も前の建物が今も残っているとはすごいですね。
御城番屋敷の石畳の端、そして工業高校の横にあるのが
松阪神社の鳥居。

参道両脇に桜の花が咲き、とてもきれいでした。
他の観光客の人たちも
ここで写真を撮っていました。
この記事を書く前に調べて、初めて知ったのですが
1000年もの伝統をもつ神社だそうです。
商売の神様、病平癒の神様など多くの神様が
お祀りされているそう。
お参りしたかったのですが、ここまで来た時に
ぽつぽつ・・・と空から雨が。
残念ですが、観光はここで切り上げ。
石垣に沿って駐車場まで歩いて戻りました^^
