東北で発生した大地震から今日で5日が経ちました。
まだそれだけの日数しか経っていないの?という感覚です。
地震の発生から今日まであまりにも多くのことがあり、
もっともっと、長い時間が経過していたかのように感じます。
 
メディアで報道される津波の映像、その爪痕は
言葉を失くす悲惨さです。
震災に遭われた方が一日でも早く普通の生活に
戻れるよう願うばかりです。
 
私の住んでいる三重県では、
一部でその影響が見られるとはいえ、
表面的には変わりない日常が続いているようです。
 
でも、おそらく誰もがそうだと思いますが
こうやって日常を送る自分の心の中で、
震災の恐ろしい映像や
避難所で不便な生活を余議なくされている方々のことが
幾度となく頭に浮かびます。
 
車での通勤途中、大きなトラックが横を走っているのを見て
こんな大きな車両でもあっという間に波にさらわれたのかと思い、
信号で止まった時にふと目に入るマンションをみて
この建物よりも高い波が来たのかと、思ってしまいます。
 
家に帰って部屋が寒いとストーブをつけますが、
ここよりもっと寒い東北地方で避難生活をされている方々は
暖をとることもままならない状態でどんなに寒くて辛いだろうかと。
 
週末に私の携帯にも何通かチェーンメールが届きました。
その時はチェーンメールだとは思わず、
友人数名に転送してしまい、ブログにも少しそのことを
書いてしまいました。
 
数時間後に、あのメールの内容はおかしい、と一人から
言われ、混乱を助長してしまっては大変と思い、
記事を非表示にしました。
 
私が受け取ったメールは出元は善意からの行為だったようです。
私に転送してきてくれた人たちもそうでしたし、
私もそのつもりだった・・・
でも、災害の後で不安感が人の心を支配している時は
善意のメッセージさえも混乱を招くもとになってしまうのだと、
こうした時にどう判断すべきか改めて認識しました。
 
テレビを見ていたら数日不明だった家族と再会できた人がいて
「生きているだけで良かった」と喜んでいました。
本当に良かったと思いましたし、本当にその通りだと思いました。
私だってあの状況だったら相手には
生きていてもらえただけで良かったと思うだろうと。
 
そして昨日、今日と深刻度を増しているのが
原子力発電所のニュース。
想定外のことが起こってしまった今回の原発事故。
こちらも収拾できるのかとても心配です。
 
偶然ですが地震の数日前、仕事の合間にネットで
原子力発電に関するサイトをみつけ
原発の仕組みなどを読んでいました。
 
原子力発電はクリーンで安い電力を提供できるといわれてきましたが、
原発反対派のサイトには電気連合や電力会社のホームページには
書かれていない原発の危険性が数多く指摘されています。
 
地震の後で、いくつかのサイトを読みなおしてみましたが、
その危険性が決して「過剰な心配」ではなかったということが
今回の福島原発の事故で証明されたように思います。
 
そして原子力発電のコスト試算を詳しくみてみると
原発が火力発電に比べて格段に安いというわけではないみたいです。
それに使用済み燃料の処理方法、その処理能力さえ
十分に確立、確保されていない状況にあって
発電源を原発にシフトしてきた日本の選択は
果たして正しかったのだろうかと
疑問に思わざるを得ません。
 
全発電量の3分の1が原子力発電によるものであり、
原発は今の日本に不可欠といわれていますが、
湯水のように電気を使い、
豊かで快適な生活を当たり前と考えてきていた
今の生活をもっと見直すべきではないかと思いました。

今回のような事故のリスクを負ってまで原発を維持することが
本当に必要なのだろうか?と。
まとまりのない文章になってしまいましたが
思いつくままに書いてしまいました。
 
 
 
 
 
 
イメージ 1