
臨済宗建仁寺は京都最古の禅寺。
栄西禅師による開山です。
栄西は日本に禅を伝えた人であり、また中国から茶を
持ち帰った茶祖でもあります。

お堂に入って見上げた天井にこの龍の絵を見つけた時は
その迫力に、はっと息を飲む想いでした。
写真ではスケールの大きさがわかりにくいですが
畳108枚分の大きさだそうです!
一頭の龍が手に玉を持っています。
龍玉と呼ばれるもので、これを手にしたものは
強い力を得ることができるという言い伝えがあります。
ドラゴンボールですね。
龍は東洋では吉祥を意味しますが、
西洋ではドラゴンというと悪魔の使いです。
すぐに思いつきませんが、龍に限らず、ものごとに対する認識は東西でこれほどまでに違うものなのかと思うものが色々あります。暫く上を向いていたら首が痛くなってきました。

建仁寺にある宝物で一番有名なものはこれではないでしょうか。
俵谷宗達の「風神雷神図屏風」、手前右側が風神、左側が雷神です。
ただ、通常展示されているのは高精細デジタル複製であり、
本物は博物館にあるとのこと。

こちらは方丈の襖絵、「雲龍図」です。
こちらも高精細デジタル複製とのことですが
先ほどの天井図とはまた違って目の位置が見ている側と
同じくらいのところにあるので、
ギロリと睨まれているような凄みがありました。

襖絵は他にもたくさんありました。
これなどは日本の農村に見られた秋の日の風景を
切り取ったものですね。

これは安国寺恵瓊の首塚です。
この人は戦国時代の禅僧ですが、
その弁才と機知をを以って、毛利輝元に深く信頼され
外交官的な役割を果たしていました。
織田信長が次々と領土を勝ちとっていた頃に
「信長は高転びに、 あおのけに転ばれ候ずる」と予言していました。
彼の世はそれほど長くない、
そして信長の後を継ぐ器を持っているのは
木下藤吉郎だろうと。
時代は彼の読み通りに動きましたが、
秀吉亡き後、関ヶ原の戦いが起こります。
安国寺恵瓊は西軍の石田三成側に与しました。
この時の彼の読みは当たりませんでした。
西軍は敗れて、捕えられた彼は六条河原で斬首されました。
このくだりを以前、小説で読んだ時、関ヶ原の時の恵瓊には
欲が働いてしまい、それが彼の英邁な眼を曇らせてしまったのかと
思いました。

これは東陽坊といわれる茶席です。
豊臣秀吉が催した北野大茶会で利休の高弟が
担当した副席と伝えられているそうです。
建仁寺はお庭も立派です。
ただ、最近、京都のお寺の庭をいっぱい紹介しすぎて
読んでいる方も食傷気味かもしれないので
今回は省きます。
京都建仁寺の訪問メモでした。^^