新平家物語2~4巻を読み終えました。
長い物語なのでまだ4分の1です。
2巻目は保元の乱から始まります。
 
保元の乱は平氏、源氏ともに身内が敵と味方に分かれて
戦う血生臭い場面です。これは武士だけでなく
天皇家でも崇徳上皇(兄)VS 後白河上皇(弟)、
貴族の中では藤原頼長 (弟) VS 藤原忠道 (兄)でも同じように
身内同士が敵となります。
 
結局、後白河側が勝利し、崇徳上皇は讃岐に島流し、
藤原頼長は流れ矢に当たって死んでしまいます。
後白河上皇側の参謀だった藤原信西の指示で
平家では清盛の叔父にあたる平忠正が斬首、
源氏では義朝の父、弟たちが斬首されます。
 
残酷なのは、この斬首をそれぞれ、
甥の平清盛が叔父を、長子であった源義朝が父や弟達を
斬らなければならなかったことです。
まさに血を分けた兄弟や親子が殺し合うような
大変非情な戦いであったのですね。
 
その二年後、今度は勝者陣営の中で対立が起こります。
これが平治の乱となります。
藤原家の対立に源平それぞれが付き、
平氏(平清盛)が源氏(源義朝)を追うことになります。
中には平家に寝返る源氏の人物もいたりして
劣勢になってしまったことを悟った
源義朝は東国に逃げるのですが途中で立ち寄った
尾張の長田忠致のもとで謀殺されてしまいます。
 
義朝が殺された時、義朝の長男はまだ13歳の少年。
将来の憂いを取り除くため、清盛の周囲ではこの少年を
生かしておくべきではないとの声が高まります。
 
しかし、清盛の継母が清盛に
早逝した自分の息子の面影を持つこの少年の命を
助けてやってくれと哀願します。
 
継母には頭が上がらなかったという清盛はここで少年の命を
助け、伊豆に流すという処分を下します。
この少年こそが後年、平家を倒し、鎌倉に新たな武家政権を
樹立することになる源頼朝でした。
 
清盛はまた義朝の想い人であった常盤という女性が
あまりに美しかったことで、彼女の息子たち3人をも助命し、
それぞれ寺に入れてしまいました。
末っ子の息子が牛若と呼ばれ、鞍馬寺に預けられることになります。
彼が後の源義経です。
 
清盛は甘かったのですね。こうした決断の裏に彼の人間的な弱さが
あったのか、驕りがあったのか、慈悲の心があったのか
わからないですが、これが将来の平家一族の命取りとなったわけです。
 
情けをかけたことが仇になった清盛の処置を教訓として
勝者は敗者の一族を皆殺しにすることが
これに続く時代では慣例となりました。
 
源氏を破った平家はますます栄華を極めます。
平家にあらずば人にあらず、と言ったのは
清盛ではなく、彼の奥さんの弟、時忠だったといわれています。
 
清盛はこの後、宋との貿易のために神戸に港を作る仕事に
精力を傾けます。世の中も落ち着き繁栄する中、
平家を快く思わない人たちも当然のことながら出てきます。
 
源氏側の生き残りは東国に隠れて、ただひたすら
時を待ちます。
奥州に隠然たる勢力を形成する藤原秀衝の思惑も気になります。
 
平家繁栄の水面下でまだまだ時代が動きつつあることを
感じます・・・・ここまでが4巻までの覚書きです。^^
 
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