
東福寺の方丈を東西南北に囲む庭は
お釈迦さまの生涯で起こった重大な8つの出来事に因む
「八相の庭」として有名です。
方丈とは禅宗寺院の僧侶の住居のこと、
後には相見(応接)のための建物として使用されていたそうです。
方丈は明治14年に火災で焼失、同23年に再建、
庭は昭和14年に作庭家の重森三玲氏が完成させました。
左側の石は仙人が住むといわれる瀛洲(えいじゅう)、蓬莢、
壺梁(こりょう)、方丈の四島を表しています。
枯山水の庭で、白砂は水を表しています。
各所に見えるぐるぐる模様は渦巻き。
「八海」、つまり荒海を表しているそうです。
石の周りにあるぐるぐる模様は波紋ですね。

奥のほうにある築山は「五山」をなぞらえたもの。
東福寺は京都五山のひとつですから
それにちなんでのことなのでしょうか。
反対方向から南庭をみてみます。

観光のお客さんは他に数名ちらほらと見かける程度。
静かにお庭の眺めを楽しむことができました。
反対側の北庭にいってみます。

東福寺の庭を紹介するときにたびたび見かける
苔と石で造られた市松模様の庭。
寺院で見るお庭は正直なところ、
素人の目にはどれも似ていて
区別がつきにくいですが、この模様はとてもユニークで
インパクト大です。

彫刻家のイサム・ノグチ氏はこの庭を
「モンドリアン風の新しい角度の庭」と呼んだそうです。
モンドリアンとは抽象画で有名なオランダの画家、
ピエト・モンドリアンのこと。
← これは私の手元にある本ですが、表紙の絵が
「ブロードウエイ・ブキウギ」という彼の代表作です。
垂直と水平で描かれた画面構成が特徴で
建築やデザインの分野にも影響を与えたといわれています。
重森氏の作品もモンドリアンからインスピレーションを得るところがあったのでしょうか。
そして東庭。円柱の石で表されているのは北斗七星。

あまり考えずに写真を撮っていたので北斗七星の
全て石を画面に収めることができませんでした。
この石、もともと東司の柱石に使用されて余ったものを利用したものだとか。
(東司というのは昔のトイレのことです)

東福寺の境内もめちゃめちゃ広い~。
これは焼失を免れた三門です。
京都五山のひとつだけあって威風堂々たる構えであり、
国宝に指定されています。
額の文字は写真では見えにくいですが足利四代将軍の筆跡だとか。
・・・と、通りがかりのおじいちゃんが教えてくれました。
「この三門をみて、やっと東福寺に言ったと言える」のだって。
寒い寒いと思っていたら
目の前の池が凍っていました。
東福寺は紅葉で有名なお寺。
今度は通天橋から眺める真っ赤に染まった
渓谷の紅葉を観に行ってみたいです。