
ここは駿府城で亡くなった徳川家康をお祭りする神社です。
行ってみたらなんとかなるだろうと、たいした下調べもせず、久能山に向かって出発。
「ロープウエイで本殿までいける」、とガイドブックに書いてあったのでそれを当てにしていたのですが、ロープウエイ乗り場があるのは、ここではなく、ひとつ前の記事に書いた日本平だったのでした。
本殿までは1159段の石段 
5分でスイっと本殿まで行けるつもりだったのに、
お正月から石段をのぼる羽目になってしまいました。

5分でスイっと本殿まで行けるつもりだったのに、
お正月から石段をのぼる羽目になってしまいました。

でも、実際のぼり始めてみたら、
こんなふうに殆ど段差がないので意外と楽々。
前を幼稚園児らしき子供がお母さんに手をひかれて
歩いていました。
こんなちびっこにだって登れるくらいだからきっと大丈夫。
風も殆どなく、中盤くらいまできたら、うっすら汗ばんできて
ダウンジャケットも脱いで歩きました。
20分~30分くらい登ったでしょうか。
時々、眼下に広がる駿河湾を見ながら登りつづけ、
ようやく社殿に到着!


久能山東照宮は家康の遺命により、
二代将軍秀忠によって造営されました。
江戸時代初めの代表的な「権現造」であり、
当時最高の建築技術、芸術が結集されています。
数年前に社殿や他の建造物の漆塗り替えが完了したそうです。
往時の鮮やかな装飾は目を見張るものでした。
徳川家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟は
西向きに建てられています。
西国大名に睨みをきかせるため、という家康の遺命だったとか。
境内の敷地内には博物館があり、家康公はじめ徳川家代々の
身の回りの品々が展示されていました。
秀忠、家光、慶喜らが献上した刀剣など、とても芸術的で美しく
大変見ごたえあるものばかりでした。
そうそう、今年初のおみくじもここでひきました。
嬉しいことに大吉でした。
おみくじの上の部分に書いてあった言葉です。
さすが東照宮のお御籤、
家康公からのご訓示ですね。
二代将軍秀忠によって造営されました。
江戸時代初めの代表的な「権現造」であり、
当時最高の建築技術、芸術が結集されています。
数年前に社殿や他の建造物の漆塗り替えが完了したそうです。
往時の鮮やかな装飾は目を見張るものでした。
徳川家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟は
西向きに建てられています。
西国大名に睨みをきかせるため、という家康の遺命だったとか。
境内の敷地内には博物館があり、家康公はじめ徳川家代々の
身の回りの品々が展示されていました。
秀忠、家光、慶喜らが献上した刀剣など、とても芸術的で美しく
大変見ごたえあるものばかりでした。
そうそう、今年初のおみくじもここでひきました。
嬉しいことに大吉でした。

おみくじの上の部分に書いてあった言葉です。
さすが東照宮のお御籤、
家康公からのご訓示ですね。

家康がこの世を去る際にも尚、心残りだった日本の西側。
久能山を降りる頃には美しい夕日の時刻でした。
久能山を降りる頃には美しい夕日の時刻でした。
