
この本の中で著者が訪れた土地は滋賀、岐阜、奈良、京都、大阪、福井と
私の住むところから近い場所ばかり。
馴染みのある土地のことだからわかりやすいかなと思って
手にとってみたものの、私自身、何度も、いや何十回も
通り過ぎているはずなのに、著者の語りの中では
全く知らない土地のように深く描写されています。
人里離れた山奥の木立の中にたたずむお堂や
古い神社、霧が立ち込める美しい田園風景、
そこに住まう人々、その土地で脈々と受け継がれる神事。
日本の原風景や日本人が本来もつ信仰というのは
京都や奈良にある有名な神社仏閣よりも
このような場所にこそ見出されるのではないかと思わされます。
人里離れた山奥の木立の中にたたずむお堂や
古い神社、霧が立ち込める美しい田園風景、
そこに住まう人々、その土地で脈々と受け継がれる神事。
日本の原風景や日本人が本来もつ信仰というのは
京都や奈良にある有名な神社仏閣よりも
このような場所にこそ見出されるのではないかと思わされます。
どの文章も深い教養に裏打ちされた名文。
何度も行っては戻りして読み進めました。
その表現の豊かさ、歴史や文化への造詣についていくのが大変で
読み終えるまでに随分時間がかかりました。
何度も行っては戻りして読み進めました。
その表現の豊かさ、歴史や文化への造詣についていくのが大変で
読み終えるまでに随分時間がかかりました。
例えば著者は湖北(滋賀県北部)の秋を
「寂しいけれども暗くはなく、しっとりとしていても湿っぽくはない。
陶器に例えれば、李朝の白磁のような」と表現されています。
「寂しいけれども暗くはなく、しっとりとしていても湿っぽくはない。
陶器に例えれば、李朝の白磁のような」と表現されています。
骨董品にも造詣が深かった著者ならではの表現だと思いました。
でも自分が湖北にいってもきっとこのような表現はとても思い浮かばないでしょう。
それだけのデータベースが私にはないからです。
白洲正子さんの本についてはもっと読んでみたいものがありますし、
またこの「かくれ里」で紹介されていた土地にも
実際訪れてみたくなりました。