イメージ 1京都市左京区黒谷町にある金戒光明寺に行ってきました。
 
地元では「くろ谷さん」の名前で親しまれているようです。
 
幕末、京都の治安維持のため、京都守護職の本陣が置かれたのがここです。新撰組は京都守護職御預かりという立場だったので、新撰組にとっても深いつながりのあるお寺です。
 
 
 
 
イメージ 2石段を登ったところに大きな山門があります。
ちょうど山門の特別公開中で、内部を見学することができました。
 
ここからは京都市内を遠望することができます。
徳川幕府は黒谷と知恩院を有事の際に備えて、城構えにしていました。黒谷は小高い丘になっており、自然の要塞ともいえ、当時は大阪の淀川、遠くは大阪城まで見えたそうです。
 
近くには南禅寺もあります。南禅寺の山門からの眺めは石川五右衛門の「絶景かな」というセリフで有名ですが、私は光明寺の山門からの眺めも、南禅寺といい勝負だと思いました。いや、印象としてはこっちのほうが広々と市内全体を見渡せたという感じ。それにお客さんがあまりいないので、こちらのほうがのんびりとしていて良かったです。
 
 
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お堂の中や庭園も見学できます。新撰組局長だった近藤勇が、会津藩守護職松平容保と拝謁した部屋がありました。実際の建物は昭和初期に焼失し、現存するものはその後の再建だそうですが、それでも当時の緊迫した空気感が伝わるようでした。別の部屋にあった虎や松の木が描かれた襖もとても立派なものでしたし、一見の価値ありだと思います。
 
こちらは庭園です。
金戒光明寺は法然上人がはじめて草庵を結んだところです。
 
 
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時代は遡り平家物語の時代へ。
熊谷直実という有名な武将がいました。
彼は自分の息子と同じ年頃の平敦盛を討たなければなりませんでした。
敵とはいえ、まだ少年の面影が残る敦盛を助けてあげたかったけれど、できなかった。
 
世の無常を嘆いた熊谷直実は、ここに法然上人を尋ね、仏門に入りました。
 
法然上人のところを訪れた時、熊谷直実が身につけていた鎧を洗った池というのがこの庭園にある池だそうです。
 
 
イメージ 5そして洗った鎧をかけた松の木があります。
「鎧掛けの松」と呼ばれています。
それがこの松。
 
とはいっても古木はもう枯れてしまったのでこの松の木は二代目だそうです。
 
黒谷の光明寺は観光地としてはあまりメジャーではなさそうですが、境内はかなり広く見どころがたくさんあるし、何より市中(岡崎公園、平安神宮のすぐ近くです!)にあるわりには随分お客さんが少なくて、人疲れすることがなく、穴場的な感じがしました。^^
 
 
私は一番上の写真にある石段(そんなに段数はないはず)と、
山門の急な階段の登り降りだけで翌日、筋肉痛になってしまいました@@;
いったいどれだけ運動不足なのでしょう!!!
 
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