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前回、京都に行った時、本能寺宝物館で開催されていた
「信長展」を観てきました。
 
明智光秀に襲撃された織田信長がここで自害した「本能寺の変」で有名ですが、
本能寺は他宗による破却、戦乱、大火などで、これまでに5度焼失し
7度も再建されているのだそうです。
 
立地場所も本能寺の変の時は、四条西洞院と、現在の場所より西南の位置でした。
現在地に建てられたのはそれから10年後、秀吉の命によってで、この時で
5度目の建立であったそうです。その後、天明の大火で焼失し、
7度目は幕末、蛤御門の変で焼失しているそうです。
 
これだけの災禍を経てもなお守り抜かれ、
残されている宝物が宝物館で公開されています。
 
 
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館内は写真撮影禁止だったので、写真をご紹介できないのが残念。
織田信長所蔵の茶道具、古文書、書状や肖像画などが展示されていました。
 
そうそう、「本能寺」の「能」という字、本当はパンフレットにもあるように
こちらの文字が正しいそうです。
 
パンフレットの表紙にあるカエルの香炉は「三足の香炉」と呼ばれるもの。
本能寺の変の前夜、突然鳴き出し、信長に危険が迫っていることを伝えたとのいわれがあります。
蛙の足が三足なのは、これは中国製(唐)のものであるからのようです。
中国では偶数を陰、奇数を陽とする考えから、奇数を大事にしてきました。
 
信長は明智光秀に襲われる前の夜、多くの人を招いて
大規模な茶会を開催したそうです。
そこで立派な茶道具を披露したとか。
その時の茶道具も一部が残っていて展示されていましたが
焼けただれて、変色したり、ヒビが入っていたりと、
火事の凄まじさを物語っているようでした。
 
信長は相当の茶道具コレクターだったようで、
現存していれば国宝級だっただろうという茶道具が多く
焼失しているそうです。
残されて、今回展示されていたお茶碗にも天目茶碗という
格の高いお茶碗がありました。
当時、立派な茶道具を所有することはステータスでもあったようですし、
もうひとつ、実は信長はアルコール・アレルギーがあって
お酒が飲めなかった、それでお茶を好んだという興味深い解説もありました。
 
また信長の傍にいつも仕えて美少年の誉れ高かった
森蘭丸の刀も展示されていました。
刀は柄に入っていたからなのか、とても美しい状態で
サビなども全くついていませんでした。
 
ただ刀にしては長すぎるかも、というものもありましたが
長い刀は戦国時代、身を守るお守りとして背中に負う
習慣があったのだそうです。
 
こうした展示物が全て、歴史を変えたあの夜、燃えさかる
炎の中に横たわっていたのかと思うと
不思議な気持ちになりました。
 
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