最近、歴史小説から離れて「心」をテーマにした本をいろいろと読んでいます。
その中で、別々の著者の本で同じ内容のことに続けて接する機会があったので
これも何かの偶然かと思い、メモメモ。
ある人についてその人のここが嫌い、こんなところが苦手、
こういう言動に嫌悪感を覚える・・・ということは誰にでもありますよね。
それは実は自分が相手についての「嫌い」とか「嫌悪感」を覚える部分を
自分自身の中に持っているからなのです。
これをシャドーのプロジェクション(投影)と心理学では呼ぶそうです。
こういうことはあってはならない、と自分自身、無意識に抑圧して「いい人」であろうとする。
これを「ペルソナ」と呼びます。ペルソナとは「仮面」という意味。
ペルソナに抑えつけられた部分を「シャドー(影)」と呼ぶ。
ペルソナが強力であればあるほど、シャドーも強大に育ってしまうの。
シャドーというのは私は「自分自身の影、隠したい裏の姿」という意味ではないかと解釈しています。
だから外部に同じもの(自分の影)を見つけると激しい嫌悪感が湧きあがってくるという。
それは自分自身の醜い部分を相手を通して見てしまったから・・ではないかと思います。
普段「いい人」と思われている人がポロっと嫌な部分を見せたりする。
大半の人は「あんないい人が・・」と驚く。
でもその言動は、その人が抑えつけていたものが表面に出ただけ、
と考えると、別にそれほど驚くことではないと思う。
完全ないい人っていないだろうし、そういう醜い部分を持ち合わせているのが
人間というものだと思う。
これとは逆にある人の美点に感動したり、感心したり、憧れたりする。
それもやはり、同じ要素が自分自身の中にあるからなのです。
なかったら、共感するということはないだろうから。
これを考えてみると自分が周囲の人に抱く感情は
自分自身を映したもの、と考えることができるのではないかと思います。
同時に自分自身が変われば、周囲の人たちとの関係も変わるのでは?とか。