「徳川家康」、25巻目を読み終わりました。
大坂夏の陣の下りです。
家康ももう74歳。小さい頃から一緒に戦国を生き抜いて
戦ってきた同志ともいえる人々は既にこの世にいないか
隠居してしまっている中、なぜに自分は老体に鞭打って
息子や孫世代と戦わなければならないのか、泰平を願いながらも
ならぬ世への嘆きも少し感じられる場面です。

さまざまな人間の感情が錯綜しあい、淀君、秀頼母子を救出しようとする
家康の願いもむなしく大坂城は炎に包まれ、豊臣家はこの世から消え去りました。

真田幸村や後藤又兵衛らの大坂方武将たちの死を恐れぬ勇猛果敢な戦いぶりは
鮮烈で強い印象を残すものでした。
戦の中では「死」というのは常に明滅しながら身近に迫っているものという
描かれ方がされています。
実際の死というのが実はとてもあっけないものだということも。

木村重成も後藤又兵衛も、真田幸村も、みんなあまりにもあっけなく死んでしまうのです。
死の場面には何も特別な悲壮さを感じる隙がないのです。
誰かが討たれた時、「あれっ、死ぬとはこんなもの・・・?」と意外なふうに思いながら
息をひきとっていく場面があります。
小説も大団円に近づくに従って作者の死生観がとても色濃くなってくる気がするのですが
これは実際に戦争を体験した作者だからこそなのかと思いました。

自害した淀君と秀頼の遺体を、徳川方の武将らが検分する場面があるのですが
中のひとりが淀君の薄く目を開けて横たわっている姿をみて
この人間が本当に過去10数年、江戸方を悩みに悩ませてきた問題の女性だとは
とても信じられないのですね。世の無常を感じてしまう場面でした。

これとは別に伊達政宗、ここまでひっぱるとは思いませんでした。
秀吉の頃から登場してきているのでもうずいぶん年老いているのかと思っていたら
大坂の陣の時、まだ49歳なのですね。まだまだ野心を捨てきれないわけです。
日本を統一しようとした秀吉を悩ませ、
泰平の世を築こうとする家康にとっても心配のタネであり続ける伊達政宗は
傲慢で不遜で、本当に何を考えているのかわからない、でもどこか気になる存在の人物です。