長編小説「徳川家康」の読書も
19巻「泰平胎動の巻」、20巻「江戸・大坂の巻」、21巻「春雷遠雷の巻」を
読み終えて、今ようやく22巻目です。

関ヶ原の合戦を経て、戦乱の時代は終止符が打たれ、徳川家康が
泰平の世の礎石を固める時期に入りました。
それまでの約20巻は延々と殺す殺され・・の話が続いていましたが
関ヶ原を境に血なまぐさい話はなくなり、その後は淡々とした平穏な日々です。
勇躍していた武将達の存在感が急速に薄れる一方で、
大久保長安のような半分武士で半分商売人みたいな
人物が登場しはじめたり、アダムスの三浦按針のような外国人も日本にやってきて
日本も海外と積極的に関わろうとする時代なのですね。
江戸時代というと、勝手に「鎖国」と思っていましたが
鎖国令が出たのは家光の頃からで、この時代は意外にも海外との
往来が活発だったのですね。
その一方で時代の変化に取り残される大坂城と中の住人(淀君、秀頼やその側近たち)・・という
話の流れです。

ここまで読んできても家康は本当に立派な人物に描かれています。
常に「泰平の世」を願い、それを実現せしめることに一生を捧げる人物なのですね。

今回、ちょっと飛ばして26巻目の最後に書いてある作者の「あとがき」を読んでみました。
山岡荘八氏はこの作品全巻を自宅に祀ってある「空中観音」の霊に供える、と書いています。
「空中観音」は昭和20年の春、作者が鹿児島県の鹿屋飛行場から大空に見送った
若人たちの諸霊であると。特攻に出ていった人たちは山岡氏に「後を頼む」と
言い残していったそうです。そして自分は彼らのために小説を書くことでしか供養ができなかったと。

江戸時代は戦争のない泰平が260年も続いた世界史でも類まれな平和な時代でした。
山岡氏が小説を書くにあたっては戦時中のこのような経験が底にあったのですね。

このエピソードを読んで、改めて小説に描かれる家康像を振り返ってみると
「徳川家康」の作品それ自体が作者の「平和への祈り」ではないかと思えてきます。

戦乱の世を平定し、泰平の江戸時代を築いた徳川家康という人物を、現代においても
平和を実現し維持させる理想的な人物として作者は描いたのではないかと思う次第です。