長編小説もようやく17巻目を読み終わりました。
関ヶ原の前哨戦の下りです。
上杉景勝討伐で今年の大河ドラマの主人公直江兼継も登場します。
東軍と西軍、家康と三成の駆け引きが続きます。
西軍は烏合の衆という言葉で表現されていますが、
そのまとまりの悪さといったら悲しいほど。

伏見城が攻撃され、家康の忠臣、鳥居元忠が討死します。
秀吉が贅を尽くして建造し壮麗を極めたという城郭も焼失。
最期まで家康への忠義を貫いた鳥居元忠の生き方を読んでいると本当に涙が出そうになります。

話は小説から逸れますが、京都に行くと、現在も伏見城の遺構がいくつかのお寺に残っています。
私が行ったことのあるお寺ですぐに思い出すのが、鷹峰にある源光庵、
それから大原にある宝仙院というお寺です。
(源光庵は「迷いの窓」「悟りの窓」で有名なお寺です)
これらのお寺では当時の戦乱で命を落とした人たちの供養も兼ねて、
伏見城の床が天井板などに使われています。
いわゆる血天井というものですね。

実際にそこで戦って斃れたであろう人々の手や足などその形の
生々しい血痕が残っています。
宝仙院のほうの血天井には人の顔の形が半分残っていました。
実に凄惨な戦いが繰り広げられたということが想像されます。

一年ほど前に源光庵に行った時、そのお堂に「鳥居元忠の霊位」と
書かれた白木の位牌が置かれているのを見つけました。
今でも供養が続けられているのでしょうか。
線香の煙がゆらりゆらりと燻らせてあり、この位牌を見た時に
遠い昔の歴史小説の世界の時間と自分が生きている現在の時間が
突然、つながったように感じました。


この巻で私が線を引いた箇所。
筆者の言葉です。

戦争そのものを、理性を放棄した人間どもの殺戮比べと観てゆけば、
どのような脅迫も、謀略も、奸策も、戦い勝つ手段として肯定する他になくなろう。
しかし、それ以前にいずれが正しいかという高い倫理の競いが根底にあった筈・・・
それが、途中であとかたもなく消失して、その後は、いずれがより徹底した「悪業」に
没頭できるかといういいようもない悪業比べに変形する。これが戦争の実態なのだ。

現在も世界のどこかで絶え間なく続く戦争、紛争の報道を耳にしていると
なんとなく納得してしまう一節でした。


ところで、この17巻目のタイトル「軍荼利」という漢字を何と読むのか
わかりませんでした。調べてみたところ「ぐんだり」と読むようです。
由来は梵語の「クンダリニー」。
軍荼利明王という神様がいて、これは密教における宝生如来の教輪転身、
様々な障碍を除くとされる、五大明王の一尊だとか。
身体に蛇を巻きつけてる怖い形相の神様ですー。