浜松城に行ってきました。
徳川家康が築いた浜松城は天下統一への足がかりとなったお城です。
現在読み進めている「徳川家康」にもその物語の舞台として登場します。
在城中に幕府の要職に就いた者を多く出していることからもも「出世城」と
言われるようになったそうです。
徳川家康が築いた浜松城は天下統一への足がかりとなったお城です。
現在読み進めている「徳川家康」にもその物語の舞台として登場します。
在城中に幕府の要職に就いた者を多く出していることからもも「出世城」と
言われるようになったそうです。
築城は永禄11年(1568)。その後の元亀元年(1570)に家康が入城し駿遠経営の拠点としました。
関東に移封されるまでの17年間、ここにいたのですね。
その間、三方原の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなどもこの時代にありました。
家康の苦労が偲ばれるお城です。
関東に移封されるまでの17年間、ここにいたのですね。
その間、三方原の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなどもこの時代にありました。
家康の苦労が偲ばれるお城です。
現在は浜松城を中心に日本庭園、芝生広場などがあり、緑豊かな公園になっています。
天主までの歩道を歩いていると、かまびすしいほどの蝉の鳴き声が聞こえてきます。
滴るような緑。むっと匂うほどの夏の木の葉の匂い。今が盛夏であることを感じました。
天主までの歩道を歩いていると、かまびすしいほどの蝉の鳴き声が聞こえてきます。
滴るような緑。むっと匂うほどの夏の木の葉の匂い。今が盛夏であることを感じました。

200メートルも歩くと石垣が見えてきます。
石垣は野面(のづら)積みと呼ばれるもので自然石を上下に組み合わせて積んであります。
少し遠くから見ると刷毛で絵の具をさっと横に刷いたような荒々しい外観です。
この時代の一般的な石垣で、三重県では田丸城の石垣もこんな感じです。
石垣は野面(のづら)積みと呼ばれるもので自然石を上下に組み合わせて積んであります。
少し遠くから見ると刷毛で絵の具をさっと横に刷いたような荒々しい外観です。
この時代の一般的な石垣で、三重県では田丸城の石垣もこんな感じです。

天守閣。再建されたものですが城内には資料や武具などが展示されています。
ゆっくりと見たかったのですけれど、あまりの蒸し暑さに耐えられなくて
ちらちら・・と見て一番上の展望台へ。
ゆっくりと見たかったのですけれど、あまりの蒸し暑さに耐えられなくて
ちらちら・・と見て一番上の展望台へ。

展望台からは公園内の濃い緑とその向こうに浜松市街が見渡せます。

一番上までのぼったら、すぐ階下へ戻りました。
とにかく暑いのです~。サービスで冷たいおしぼりを使わせてもらいました。
首元にあてるとひんやりして気持ちよくて生き返った気分です♡
とにかく暑いのです~。サービスで冷たいおしぼりを使わせてもらいました。
首元にあてるとひんやりして気持ちよくて生き返った気分です♡
天主から少し降りたところにあるのが本丸跡です。
家康公の銅像が奥にありました。
家康公の銅像が奥にありました。

看板の資料によると天主というのはお城の象徴のようなもの。
お城の本拠地にあたるのがこの本丸であったようです。
お城の本拠地にあたるのがこの本丸であったようです。
更に下がったところにあったのが二の丸。
二の丸には城主の家と政治を行う政庁が置かれていたそうです。
表御殿と奥御殿をあわせて1500坪あったそうです。
現在は市役所が見えます。↓
二の丸には城主の家と政治を行う政庁が置かれていたそうです。
表御殿と奥御殿をあわせて1500坪あったそうです。
現在は市役所が見えます。↓

現在残っているのは当時のごく一部のものだけですが
その遺構を眺めていると想像が膨らみますね。
せっかく訪れた浜松城だったので敷地内の公園や庭園を散策したかったのですが
なにせ私は暑さに弱いへたれなので、すぐに諦めてしまいました。
この記事を書く前にお城の歴史などを調べてみましたが、
これまで知らなかったいろいろなことがわかって興味深く勉強になりました。
その遺構を眺めていると想像が膨らみますね。
せっかく訪れた浜松城だったので敷地内の公園や庭園を散策したかったのですが
なにせ私は暑さに弱いへたれなので、すぐに諦めてしまいました。
この記事を書く前にお城の歴史などを調べてみましたが、
これまで知らなかったいろいろなことがわかって興味深く勉強になりました。