
フィジー共和国は南太平洋の島国です。
以前・・と言ってもかなり前、1990年代の初め頃でしたが、
ここに3週間ほどひとりで旅したことがありました。
今、海外に旅行するとなれば多分、大きなスーツケースに
ぎっしりとあれやこれや詰めて出かけそうな勢いですが、
あの頃は荷物はいつも片手で持てるバッグ1個だけ。
泊まる部屋も決めずに。私はいつもとても身軽な旅行者でした。
毎回空港に到着してから現地の天気や雰囲気で行先を決める、というそんな旅行をしていました。
以前・・と言ってもかなり前、1990年代の初め頃でしたが、
ここに3週間ほどひとりで旅したことがありました。
今、海外に旅行するとなれば多分、大きなスーツケースに
ぎっしりとあれやこれや詰めて出かけそうな勢いですが、
あの頃は荷物はいつも片手で持てるバッグ1個だけ。
泊まる部屋も決めずに。私はいつもとても身軽な旅行者でした。
毎回空港に到着してから現地の天気や雰囲気で行先を決める、というそんな旅行をしていました。
フィジーは350の小さな島からなる国で、そのうちいくつかの島が
観光用に開発されています。エメラルドグリーンの海を望む真白い砂浜、
椰子の木がたくさん生えていて誰でも頭に思い浮かぶ南の島のイメージそのもののところです。
観光用に開発されています。エメラルドグリーンの海を望む真白い砂浜、
椰子の木がたくさん生えていて誰でも頭に思い浮かぶ南の島のイメージそのもののところです。
離島に一軒だけあるホテルに10日ほど滞在しました。
すごくいいところでした。各部屋がそれぞれ離れになっていて
広いリビングと寝室、キッチン、バスルームがありました。
朝、目覚めて、ビーチまで徒歩3秒です。
すごくいいところでした。各部屋がそれぞれ離れになっていて
広いリビングと寝室、キッチン、バスルームがありました。
朝、目覚めて、ビーチまで徒歩3秒です。
隣の部屋も遠く離れているのでプライバシーも完全に守られているような作りでした。
そこで、毎日、何をするでもなく過ごしました。
何も予定を立てずに来てしまった成り行きの旅行だったので
何をしたらいいのかわからなかったのです。
気が向いたらプールで泳いだり、ビーチを散歩したり、スノーケルを借りて
サンゴ礁を観に行ったり。
そこで、毎日、何をするでもなく過ごしました。
何も予定を立てずに来てしまった成り行きの旅行だったので
何をしたらいいのかわからなかったのです。
気が向いたらプールで泳いだり、ビーチを散歩したり、スノーケルを借りて
サンゴ礁を観に行ったり。
テレビもラジオも新聞もありませんでした。
腕時計も外してカバンにいれて時間がわからないようにしていました。
聴こえてくるのは波が打ち寄せる音と、ヤシの葉がすれ合う音だけ。
太陽が昇ったら起きて、沈んだら寝る・・・という毎日でした。
腕時計も外してカバンにいれて時間がわからないようにしていました。
聴こえてくるのは波が打ち寄せる音と、ヤシの葉がすれ合う音だけ。
太陽が昇ったら起きて、沈んだら寝る・・・という毎日でした。
ひとりでそんなところに行って寂しくない?と思われそうですが
全く逆でした。毎日ひとりで過ごすことはないほど、地元の人たちと仲良くなってしまいました。
みんな人懐っこい。
とてもよく笑うし、本当に明るい人たち。
私がひとりだったから余計にみんな気軽に声をかけてくれていたのかもしれません。
毎晩、スタッフの誰かが家に招待してくれて、そこでお夕飯をごちそうになりました。
全く逆でした。毎日ひとりで過ごすことはないほど、地元の人たちと仲良くなってしまいました。
みんな人懐っこい。
とてもよく笑うし、本当に明るい人たち。
私がひとりだったから余計にみんな気軽に声をかけてくれていたのかもしれません。
毎晩、スタッフの誰かが家に招待してくれて、そこでお夕飯をごちそうになりました。
ホテルで働いている人たちの殆どは島の反対側の村に住んでいて
毎朝ボートに乗ってホテルまで仕事に来ていました。
私も何度か彼らの村に連れていってもらったことがあります。
あの時、本当に驚いたのが海の水の透明さです。
村の人たちにとっては毎日毎夕の通勤ルートなので、なんとも思っていないようでしたが
海の中が何メートルも何メートルもすごく透明なのです。
全く淀みのない水の中を行き交う魚の姿も見えました。
ビーチにたどりつくと、村の飼い犬たちが何匹がお迎えにきてくれます。
みんな胴あたりまで浸かっていましたが、気持ち良さそうで。
私が村に初めて入った日もわんわんと尻尾を振ってついてきてくれました。
村の小さい子供たちも珍しそうにあとをついてきます。
滞在中は村の行事に参加させてもらったり、料理の手伝いをして一緒に食事したり、
子どもたちと遊んだり・・と、賑やかで楽しい時間を過ごしました。
毎朝ボートに乗ってホテルまで仕事に来ていました。
私も何度か彼らの村に連れていってもらったことがあります。
あの時、本当に驚いたのが海の水の透明さです。
村の人たちにとっては毎日毎夕の通勤ルートなので、なんとも思っていないようでしたが
海の中が何メートルも何メートルもすごく透明なのです。
全く淀みのない水の中を行き交う魚の姿も見えました。
ビーチにたどりつくと、村の飼い犬たちが何匹がお迎えにきてくれます。
みんな胴あたりまで浸かっていましたが、気持ち良さそうで。
私が村に初めて入った日もわんわんと尻尾を振ってついてきてくれました。
村の小さい子供たちも珍しそうにあとをついてきます。
滞在中は村の行事に参加させてもらったり、料理の手伝いをして一緒に食事したり、
子どもたちと遊んだり・・と、賑やかで楽しい時間を過ごしました。
ある日の夜、ホテルのスタッフの一人が夜釣りに行かないかと誘ってくれました。
そのスタッフの男の人と、別の宿泊客で家族と一緒にニュージーランドから
旅行にきていた小学生の男の子の3人で小さなボートに乗って
沖合に魚を釣りに行きました。
風のない波が全く立たない静かな夜でした。
空には無数の星がきらきら輝いてとてもきれいです。
都会と違って地上に何も灯りがないから、余計に空の星の輝きがよくわかるのです。
魚が全然釣れなかったので、3人でボートに寝転んで星を見ながらお喋りしました。
何をしゃべったか忘れちゃったけれど、
男の子に「宿題はちゃんとやったの?」と聞いたのだけは覚えてます(笑)
そのスタッフの男の人と、別の宿泊客で家族と一緒にニュージーランドから
旅行にきていた小学生の男の子の3人で小さなボートに乗って
沖合に魚を釣りに行きました。
風のない波が全く立たない静かな夜でした。
空には無数の星がきらきら輝いてとてもきれいです。
都会と違って地上に何も灯りがないから、余計に空の星の輝きがよくわかるのです。
魚が全然釣れなかったので、3人でボートに寝転んで星を見ながらお喋りしました。
何をしゃべったか忘れちゃったけれど、
男の子に「宿題はちゃんとやったの?」と聞いたのだけは覚えてます(笑)
そのうち話すこともなくなって黙って寝ころんで空を観ていました。
波も立たず、何の音もしないという怖いくらいの静寂。
波も立たず、何の音もしないという怖いくらいの静寂。
ふと歌声が聞こえてきました。
私が泊っていた島では何も余興がないので、夜になるとホテルのスタッフの男の人たちが
楽器を奏でながら歌を歌っているんです。
島と私たちがいたボートはたぶん数百メートルは離れていたはず。
あれだけ静かなところではそれだけの距離でも数人の人の歌声が聞こえてくるんです。
島のほうでは、ちらちらと灯りが見えました。
とても平和な感じがしました。
私が泊っていた島では何も余興がないので、夜になるとホテルのスタッフの男の人たちが
楽器を奏でながら歌を歌っているんです。
島と私たちがいたボートはたぶん数百メートルは離れていたはず。
あれだけ静かなところではそれだけの距離でも数人の人の歌声が聞こえてくるんです。
島のほうでは、ちらちらと灯りが見えました。
とても平和な感じがしました。
別の日。
ある日の昼間、ホテルでみんな集まる広間(といっても南国なので壁は開けっ放しです)で
えらくたくさんの人だかりがありました。
珍しくがやがやしています。
何があったのかと尋ねたら、その日は
ある日の昼間、ホテルでみんな集まる広間(といっても南国なので壁は開けっ放しです)で
えらくたくさんの人だかりがありました。
珍しくがやがやしています。
何があったのかと尋ねたら、その日は
初めてその島にテレビが来た日、
だったのです。
フィジー政府は1990年頃までモラルの面から一般のテレビ放送を禁止していたそうです。
私が旅行した時期はちょうどテレビ放送が解禁になって間もない頃でした。
この時の情景は私にはとても興味深いものだったのでよく記憶に残っています。
テレビ放送はまだ始まったばかりなので、テレビ局も一局しかなく、
それも放送時間は夕方の6時から3時間のみでした。
でも、面白いんです、テレビ放送が始まる時刻が近付くとどこからともなく
人がやってきて周りに陣取るんです。
テレビは大事に大きな観音開きの箱に入っていました。
観音開きのドアをあけると更にカーテンがかけてありました。
6時になると誰かがカーテンを外して、テレビをつけます。
見ていた人たちの中にはそれだけで歓声があがるんです。
私が旅行した時期はちょうどテレビ放送が解禁になって間もない頃でした。
この時の情景は私にはとても興味深いものだったのでよく記憶に残っています。
テレビ放送はまだ始まったばかりなので、テレビ局も一局しかなく、
それも放送時間は夕方の6時から3時間のみでした。
でも、面白いんです、テレビ放送が始まる時刻が近付くとどこからともなく
人がやってきて周りに陣取るんです。
テレビは大事に大きな観音開きの箱に入っていました。
観音開きのドアをあけると更にカーテンがかけてありました。
6時になると誰かがカーテンを外して、テレビをつけます。
見ていた人たちの中にはそれだけで歓声があがるんです。
日本でも昔はこんな時代があったんですよね。
祖父母から子供のころに聞いた、村にテレビが初めてきた日の話を思い出しました。
村でテレビを初めて購入した人の家にみんながテレビを観に行った、、という話です。
私が生まれる前の、その頃の情景をそのまま自分の目で見ているようでした。
祖父母から子供のころに聞いた、村にテレビが初めてきた日の話を思い出しました。
村でテレビを初めて購入した人の家にみんながテレビを観に行った、、という話です。
私が生まれる前の、その頃の情景をそのまま自分の目で見ているようでした。
平和。
本当に平和な毎日でした。
時間に追われる、、なんて観念なんて多分ないだろうなあと思うほど
の~んびりと過ごした南太平洋の休日でした。
3週間、結局何をするでもなく、毎日毎日ごろごろ・・と過ごしているか
村の人たちと遊んでいる間に終わってしまいました。
本当に平和な毎日でした。
時間に追われる、、なんて観念なんて多分ないだろうなあと思うほど
の~んびりと過ごした南太平洋の休日でした。
3週間、結局何をするでもなく、毎日毎日ごろごろ・・と過ごしているか
村の人たちと遊んでいる間に終わってしまいました。
滞在中は立派な部屋に長い間泊めてもらいました。
さぞや高い出費を・・と思われそうですね。
一泊が日本円でも数万円するお部屋でした。
さぞや高い出費を・・と思われそうですね。
一泊が日本円でも数万円するお部屋でした。
私もそれなりの出費は覚悟していたのですが、
これも結局、友達になったマネージャーご夫婦の好意で
嘘みたいに安い値段にしてもらいました。
日本の地方のビジネスホテルくらいの値段です。
こんなので利益出るんですか?
と支払いする時に尋ねてしまったほどです。
まあ、いいのよ~、とマネージャーの奥さんがウインクしてくれました。
これも結局、友達になったマネージャーご夫婦の好意で
嘘みたいに安い値段にしてもらいました。
日本の地方のビジネスホテルくらいの値段です。
こんなので利益出るんですか?
と支払いする時に尋ねてしまったほどです。
まあ、いいのよ~、とマネージャーの奥さんがウインクしてくれました。
帰国する前は空港の近くに実家があるという人が
その人の家に泊めてくれて
空港まで送ってくれました。
その人の家に泊めてくれて
空港まで送ってくれました。
何から何まで恵まれすぎた3週間の旅でした。
(写真はウエブサイトからお借りしたものです)
