10巻目の「無相門の巻」を読み終えました。
これだけ長い話になるとメモに残しておかないと
読むはしから忘れていってしまいます^^;

この巻のメインは「小牧長久手の戦い」という秀吉VS家康の戦い。
明智光秀や柴田勝家には易々と勝利を収めた秀吉も
相手が家康となるとそうはいきません。
互いの肚を読み合う高度な頭脳プレーを観ている感じです。

ここでは家康のほうが有利であるかにみえました。
並の武将なら、一気に秀吉勢を攻めていったかもしれませんが、
交戦を主張する血の気の多い家来たちの意見を抑えて
家康は「戦わない」ことを選びます。

自分がここで秀吉に勝っても、せっかく平定しかけた日本国が
また戦乱の世に逆戻りする、それは神仏のみ心に沿わぬもの、
まだ今の段階では秀吉に天下を取らせておいたほうが長い目で見れば得策という
深く遥か先まで見越した考えもありました。
最終的に天下を取る家康の
個人の欲に捉われない
思考の深さ、志の高さ、人間としての器の大きさを感じる場面でした。

山岡宗八氏の家康像とは正反対に
司馬遼太郎氏の本では家康はけちょんけちょんに書かれています。
大名の家に生まれなかったら
田舎の大百姓の旦那くらいが似合っていたんじゃないかとか。

昨年肺がんでお亡くなりになったニュースキャスターは、新聞記者時代から数えると
日本の歴代首相数十人にインタビューしてきたと言ってました。
かつて番組の中で、興味深いコメントをされていたのを覚えています。
日本のトップに立った彼らは十人十色ではあったけれど
全員に共通するものが「ひとつだけ」あったそうです。
それは何かというと
「並はずれた権力欲」
だったのですって。

あらら、理想が高いとか、人間性が素晴らしいとかそういうのではなかったのね、やっぱり。
と思ったものです。

私がこの本を読み終えた時に頭に描く家康像はどんなものになるのかな、と思いました。