イスラム教徒のことをムスリムと呼びます。
オーストラリアに住んでいた頃、近所に
ほとんど身内同様に親しくしていたムスリムの家族がいました。

私はイスラム教については、本などでは簡単なことを
ちらっと読んだ程度で、その教義については詳しいことは知りません。
でも向こうで生活していた時、日々彼らと接する中で教えられたことが
たくさんあります。
今日はその中の話のひとつについて書いてみようと思います。

ムスリムが最も恥ずべき行為と考えているものがあります。
それは「吝嗇」。

つまり「けち」ということです。
ちょっとしたことで怒ったり、ケチったりしない、
寛大さを持った人が尊敬されます。

当時、あるきっかけから、私の住むアパートとひとつ通りを隔てた
ところに住むイラク人家族と、とても仲良くなりました。

そこの家には小学校の低学年と幼稚園でいえば年長くらいの
年頃の男の子が二人いました。
国籍や人種に関係なくこの年齢の子どもたちといえば
元気いっぱいです。
毎日仕事が終わって彼らの家に寄らないと、そのちびっこたちが
私のアパートまで攻めてくる、といった毎日だったので
私も平日はしょっちゅうそこの家に行って遊び相手になっていました。

ある日、リビングで子供たちがお菓子を食べながら、
テレビを観ていました。私もソファに寝転がって一緒に
テレビを観ていたんですが、その時、ふっといたずら心が
湧き上がったんですね。

日本にいた時も親戚に彼らくらいの年の子供がいたんです。
たまに子守を頼まれた時、
子供のおなかをこちょこちょ・・と
くすぐって、騒がせてみたり、
遊び道具を、ほ~ら♡と手の届かないところに
持ち上げて慌てさせてみたり、
遊び半分でからかって楽しんでいたんです。
私はとってもいぢわるな親戚のおねえちゃんでしたの。

その時も、大好きなお菓子を口に運びながら
テレビに夢中になっているその子たちを見ていて、
(ちょっと怒らせてみよっ)と・・・

その子供たちが食べていたお菓子の袋を
ひょいと、取り上げたんです。
この年頃の子供なら、絶対、顔を真赤にして怒るはず~、と思って。

お菓子を取り上げられた数秒後、
二人の顔には「!」という驚きの表情が。
さあ、くるか~、と
心の中でにやけていた私。

でも次にその子供たちが取った行動は私の予想外のものでした。

二人して、慌てて台所に走っていって、
両手に抱えきれないほどのお菓子を
持って私のところに戻ってきたんです。

たくさんのお菓子を床に広げながら、その時のお兄ちゃんの言葉。

「ごめん。僕らだけでお菓子を食べていて、キミの分を用意するのを忘れていたよ。
本当にごめんね!これ好きなだけ食べて!」

まだ小学校に上がったばかりのちびっこに
こんなことを言われてしまった私のほうが逆にどぎまぎでした(笑)

彼らはお父さんやお母さんから、
遊び道具でもお菓子でもなんでも、
自分たちだけで独占しようとすることは
絶対にしてはいけないと、
すごく厳しく躾けられていたんです。

小さい子は、やはり本能的なものから、
自分のものを他人に触らせることを嫌ったり、
ひとり占めしたがることが多いと思います。

自分のおもちゃを勝手に触られたり、食べ物を
横取りされたら怒る子のほうが多いのに。

イスラムの教えの中では、これは最大の「悪」なんですね。
子供がちょっとでもそういう言動をとると
そこの両親は、ものすごい勢いで、
子供のことを叱り飛ばしていました@@;

彼らの価値観の一端を垣間見た出来事でした。


日本ではイスラム教というと、
ネガティブなイメージのほうが
大きいように感じます。

欧米の価値観にかなり影響されている日本人の私にも
ちょっと受け入れがたい言動も確かにありますが、
実際の(まじめな)ムスリムの人たちはとても
寛大で、平和を愛する人たち。

イスラム教徒=自爆テロをする危ない人たち
などという短絡的な結びつけは
日本人=電車にサリンを撒く危ない人たち
というのと同じくらい過激で偏見に満ちた
見方ではないかと思います。

どんなことでも偏見を離れて、自身の目で見て、
体験してみないと、わからないことは多いかもしれません。