長編の徳川家康、ようやく6巻目です。

今川義元が桶狭間で斃れ、元康はようやく駿府の人質という長年苦しめられた立場から解放されます。
その後、清州城に織田信長を訪ねて和睦し、駿府から妻子を迎え家康と改名。
小さい頃生き別れた生母於大の方と対面も果たしました。
織田家と和睦した今となっては敵城である駿府に残した妻子。
こちらも部下の石川数正が見事な外交手腕で救い出します。
相変わらず苦労は多いですが、家康の人生に雲の合間から陽が射してきたように感じます。

天下布武を目指す織田信長は、越前の朝倉攻めで浅井家の寝返りに遭います。
東海の一角として勢力を伸ばすため家康は武田信玄に向かうのですが
老練な信玄の前ではやっぱり若さゆえ気がはやってしまったのか、
三方ヶ原の合戦で散々な目に遭ってしまいます。

男たちが策略の限りを尽くし、腕力、気力を練り上げ、戦い続ける一方で
女たちの物語も多く描かれています。
信長の正室の濃姫と、家康の正室築山殿の違いはあまりにも対照的です。

濃姫に子供ができなかったので信長は一気に3人も側室を入れ、次々と子供を産ませます。
濃姫の立場は女性として言葉にできないほど苦しく辛いものだったでしょう。
でも彼女は、側室たちへの妬心を表に出すことなく、威厳をもって側室達の上に君臨し、
家臣からの信頼も勝ち得ます。そして信長の一番の寵愛もついぞ側室たちに移ることはないほど
信長の気持ちをしっかりつかみ続けています。

信長が岐阜城を留守にしている時も、まるで遠くにいる良人と意思疎通しているかのように
見事なまでに城の防御体制を整え、弱さを微塵も見せません。信長にとっては替え難い
パートナーだったでしょう。

その一方で、家康は、妻の瀬名(築山殿)から、へたれ、と呼ばわれんばかりの、
けんもほろろの扱いです。駿府で今川義元の姪として、わがままいっぱいに育ったのが
あだだったのでしょうか。義元は敗れて、もうこの世にいないのに、義元が権勢を誇っていた
駿府でのちやほやされていたお姫様時代のままです。戦国時代の厳しさというのが
いまひとつ彼女には響いていないのです。ことあるごとにヒステリーを起こす奥さんに
家康もほとほと手を焼いていたようです。こんな状況だから岡崎城に移ってからは、
一層家康との心の距離は開いていくばかり。

両家安泰のため、信長の娘徳姫と、家康の長男信康が縁組をするのですが
それを知った築山殿の怒りは例えようもありません。
自分の伯父を殺した敵の娘をなぜ愛息の嫁に!と、またものすごいヒステリーを起こします。
その裏にある政治的理由を全く理解できないのです。

家康が遠慮しながらも持った側室に対しても、嫉妬心丸出しで、
その女性達にそれはそれはひどい仕打ち。
こんな状態ですから、岡崎城での築山殿の立場は濃姫の場合とは正反対に、
どんどん孤立するばかり。

家康が合戦に明け暮れる間に、とうとう家康の部下や医師とも不倫関係に走ってしまいます。
これも男たちの野心から出た陰謀によるもので、最終的には自身の破滅につながるのですが
彼女にはそのような複雑な策謀の裏などを読めるはずがありません。

築山殿は呆れるほど思慮の浅い女性として描かれています。
濃姫や家康のお母さんの於大は、さすが武家の娘として育てられただけあって、
何よりも御家のため、良人のため、家来のため・・と、どこまでも感情を理性で抑えた
凛とした生き方を貫きますが、わがままいっぱいに育てられたお嬢さんにそれは無理な
話でしょう。男同様に、我慢する時は我慢し、闘い続けなければ女性としても
やはり戦国の世を生き抜くことができなかったということですね。