雨の週末です。テニスの練習もさぼりました。
やることもないので今日はブログの更新でもします。
やることもないので今日はブログの更新でもします。
前回の安土城址訪問の続きです。
天主跡まで登って、今度は違う道を通って下り道。
山の中腹あたりまでくると三重の塔がありました。
天主跡まで登って、今度は違う道を通って下り道。
山の中腹あたりまでくると三重の塔がありました。

天正3-4年頃に信長が甲賀から移建したとされているそうです。
この建物は天主炎上の際も類焼を免れ今日まで至っています。
私は安土城址はただの石垣だけの場所かと思っていました。
(それもこんな山ではなく、松阪城址程度のちょっとした丘かと)
廟であったり、このような三重の塔であったり、当時の建造物が
いまだに残っていたとは新しい発見でした。
この建物は天主炎上の際も類焼を免れ今日まで至っています。
私は安土城址はただの石垣だけの場所かと思っていました。
(それもこんな山ではなく、松阪城址程度のちょっとした丘かと)
廟であったり、このような三重の塔であったり、当時の建造物が
いまだに残っていたとは新しい発見でした。

三重の塔のある場所からの眺めです。
とてもきれい。
更に石段を下ると二王門(楼門)が。
とてもきれい。
更に石段を下ると二王門(楼門)が。

これも天正年間に信長が甲賀から移したものだそうです。
門の両脇には、いかつい金剛力士像もありました。
門の両脇には、いかつい金剛力士像もありました。
立派なお寺に行くと必ず山門、総門があります。
さきほど、これら門の役割を調べてみたところ、山門、総門というのは
その寺院に入る時の結界門としての役割をもっていて、
ここから先は神聖な空間として、区別する意味があるのだそうです。
さきほど、これら門の役割を調べてみたところ、山門、総門というのは
その寺院に入る時の結界門としての役割をもっていて、
ここから先は神聖な空間として、区別する意味があるのだそうです。
また金剛力士や仁王様が怖い顔(憤怒の形相といいますね)をしているのは境内に
魔物が侵入するのを防いでいるから。
そういえば普通の家にある鬼瓦も同じ意味があるんですよね。
魔物が侵入するのを防いでいるから。
そういえば普通の家にある鬼瓦も同じ意味があるんですよね。
たまに外国人のお客様や友達をお寺に案内する時、私は
「この人たちは寺のガードマンなのだ」
と説明していました。@@;
次回からは上の説明も加えようと思います。
「この人たちは寺のガードマンなのだ」
と説明していました。@@;
次回からは上の説明も加えようと思います。

山門を過ぎたところにも立派な石垣。
これは修復したものなのか、当時のものなのか。
羽柴秀吉邸宅跡のところに続いていました。
これは修復したものなのか、当時のものなのか。
羽柴秀吉邸宅跡のところに続いていました。

「信長の館」に展示されていた織田信長の肖像画。
当時の宣教師が描いたもので実物の信長に最も似ていると言われているそうです。
教科書の肖像画よりもはるかにリアルですね。
当時の宣教師が描いたもので実物の信長に最も似ていると言われているそうです。
教科書の肖像画よりもはるかにリアルですね。
安土町はお城跡のほかにも安土城考古学博物館、城郭資料館、
復元天主閣が展示されている信長の館などハコものでも観るところが
いろいろありました。
そのほかにも、歴史のあるお寺や神社など史跡もたくさん。
また機会があれば、こちらのほうにも行ってみたいです。
復元天主閣が展示されている信長の館などハコものでも観るところが
いろいろありました。
そのほかにも、歴史のあるお寺や神社など史跡もたくさん。
また機会があれば、こちらのほうにも行ってみたいです。