滋賀県安土町にある安土城址に行ってきました。
安土山一帯にある織田信長の居城跡であり、
日本の本格的な天主の建築はこの安土城が始まりと言われているそうです。
安土山一帯にある織田信長の居城跡であり、
日本の本格的な天主の建築はこの安土城が始まりと言われているそうです。
ここもまた何の下調べもせずに、ETCの週末割引が使えるから、との
理由で行ってしまったところです。
理由で行ってしまったところです。
着いてみたら山が。@@;
先日、白米城に登り、後日の筋肉痛で辛い思いをしたので
山城はロープウエイ付きじゃなければ行きたくないやと思ってたのですが。
先日、白米城に登り、後日の筋肉痛で辛い思いをしたので
山城はロープウエイ付きじゃなければ行きたくないやと思ってたのですが。
でもやっぱり惹かれます。
標高199m。がんばってのぼりました。
安土城址は平成1989年からのお城跡の発掘整備で、
石垣も石段もきれいに整えられていて登りやすかったです。
標高199m。がんばってのぼりました。
安土城址は平成1989年からのお城跡の発掘整備で、
石垣も石段もきれいに整えられていて登りやすかったです。

途中の石段で目についた石仏。

これも。

これも。


他にも何か所かありました。
「石仏」と書いたプレートがなかったら知らずに踏んづけてしまいそう。
信長が当時、お寺を壊した時などにでた石仏を再利用したのだそうです。
「石仏」と書いたプレートがなかったら知らずに踏んづけてしまいそう。
信長が当時、お寺を壊した時などにでた石仏を再利用したのだそうです。
これは豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の邸宅跡。

斜め向かいは前田利家の邸宅跡です。
奥さん同士も結構仲良しだったと何かの本で読みました。
写真には撮りませんでしたが、石段の右側には総見寺というお寺がありました。
安土城築城の際に他所から移築し、西方の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられているそうです。
奥さん同士も結構仲良しだったと何かの本で読みました。
写真には撮りませんでしたが、石段の右側には総見寺というお寺がありました。
安土城築城の際に他所から移築し、西方の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられているそうです。
この日は、桜も散り始めた頃でしたが、昼間は気温がかなり上がっていたようで
この辺まで来たら、うっすら汗をかいてしまいました。
この辺まで来たら、うっすら汗をかいてしまいました。

信長公本廟。
重臣、羽柴秀吉はここに信長の太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して
本廟としたのだそうです。6月2日の一周忌には織田一族を集め盛大に法要を行いました。
近くで見ると、昭和30年代くらいに観光客が残した落書きが。
こんなことをするから、策で覆われたのかも。
重臣、羽柴秀吉はここに信長の太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して
本廟としたのだそうです。6月2日の一周忌には織田一族を集め盛大に法要を行いました。
近くで見ると、昭和30年代くらいに観光客が残した落書きが。
こんなことをするから、策で覆われたのかも。
それにしても400年も前の石垣が残っているなんてやっぱりすごいです。
穴太衆と呼ばれた当時の近江の石積み職人たちの手によるものだそうですが
その高い技術を買われてあちこちでひっぱりだこだったのですって。
穴太衆と呼ばれた当時の近江の石積み職人たちの手によるものだそうですが
その高い技術を買われてあちこちでひっぱりだこだったのですって。


ようやく天主跡までたどりつきました。
礎石が等間隔で並んでいます。
ここは天主の地階部分であり、その上に大きな天主が聳えていたそうです。
五層七階、高さ33mあり、豪華で荘大なものであったと。
安土城址の近くにあった信長の館という展示館で
再現された天主を観ることができましたが、それはそれは煌びやかで豪華なものでした。
礎石が等間隔で並んでいます。
ここは天主の地階部分であり、その上に大きな天主が聳えていたそうです。
五層七階、高さ33mあり、豪華で荘大なものであったと。
安土城址の近くにあった信長の館という展示館で
再現された天主を観ることができましたが、それはそれは煌びやかで豪華なものでした。
こんな天主も完成してからたった3年で無くなってしまいます。
完成から3年後の天正10年6月2日未明、本能寺の変。
信長は自刃。
完成から3年後の天正10年6月2日未明、本能寺の変。
信長は自刃。
混乱の中、15日に天主は焼失、一夜で落城してしまったそうです。
織田信雄が誤って焼き払ったという説や、敗走する明智光秀軍による放火とかいろいろ
説があるそうですが、謎。
天下統一という一生をかけての大事業、
栄華を極めたと思ったら、その瞬間に崩れ去る、なんともいえない儚さを感じます。
織田信雄が誤って焼き払ったという説や、敗走する明智光秀軍による放火とかいろいろ
説があるそうですが、謎。
天下統一という一生をかけての大事業、
栄華を極めたと思ったら、その瞬間に崩れ去る、なんともいえない儚さを感じます。

天主跡からの眺め。
現在は四方とも干拓されて陸地になっていますが
当時は琵琶湖の内海に囲まれ南方のみが開けた地形だったのだそうです。
今は琵琶湖の湖面が遠くにかすんでみえる程度でしたが、
その昔は眼下まで水が迫ってきていたのでしょうか。
やっぱり頂上まで登ると気持ちいいですね。
それにここのお城跡は、いろいろな想像力を掻き立ててくれるような気がしました。
現在は四方とも干拓されて陸地になっていますが
当時は琵琶湖の内海に囲まれ南方のみが開けた地形だったのだそうです。
今は琵琶湖の湖面が遠くにかすんでみえる程度でしたが、
その昔は眼下まで水が迫ってきていたのでしょうか。
やっぱり頂上まで登ると気持ちいいですね。
それにここのお城跡は、いろいろな想像力を掻き立ててくれるような気がしました。
再現された天主の内側。
これはお城跡近くの「信長の館」で見ることができます。^^
これはお城跡近くの「信長の館」で見ることができます。^^
