先月から読み始めた「徳川家康」、現在3巻目「朝露の巻」に入りました。
この本についてはせっかくなので備忘録ということでメモを残しておこうと思います。

二巻目では、竹千代は3歳で母と生別し、6歳で人質に差し出され、途中で織田家の手に渡ってしまいます。その間も、父は非業の死を遂げ、今度は戦のかけひきで今川方に引き渡されてしまうという。
現代ならまだ小学校の年齢、親に庇護されて遊ぶことに熱中していれば良いような年齢です。その年で普通の大人でも経験し得ないほどの波乱を経験してしまうのです。
同じく松平家に仕える家来たちの、読んでいて涙が出そうなほどの苦労に次ぐ苦労。
戦国の世で、小国の置かれた境遇のみじめさ、悲惨さを思い知らされます。それでも
お家のため、竹千代のため、と団結を崩さない三河武士の姿には大変感銘を受けました。

第二巻では、徳川家康の子供時代に併せて若い頃の織田信長についてかなりページが割かれています。
信長の描写は一般に知られている信長像のイメージを覆すほどです。滴る情感を内側に秘め、人の心の襞を十分すぎるほど理解できる、「深慮」を備えた人だったのかと思わされます。それと同時に凡人の理解の範疇を超えてしまうほど、物事の本質と将来を見通す鋭すぎる目。
また、すさまじいほどの行動力なんかはいまどきの流行りの草食系男子と対極にいる感じですね。^^

この巻で印象的だったのは竹千代と今川方の僧侶で義元の叔父にあたる雪斎との対話の場面です。雪斎が遠く先にみているのは大名同士の領地争いなどという個々の欲望の次元を超えた、万民が安らかに暮らせる平和な世の中。今川の人間には、そうした世を実現できそうな人物がいないということを見通していて、今川の人間でありながら、竹千代に思想の面から師としてサポートしていきます。

「食」と「武」と「信」で一番大切なものは「信」であると、孔子の残した教えを子供の竹千代に教え諭す場面があります。家康の思想のバックボーンを形成させたのは、幼少時代の雪斎との関係にあったのではないかと思います。この雪斎という人も器の大きな人ですね。こうした師匠に巡り合えた家康も幸運だったのだと思います。

その一方で竹千代の父親や、於大の兄や田原の戸田家の人物など、それだけの器なく大将の位置に生まれついてしまった人は、これまた不幸です。その下に仕えなければならない家来も不幸。
現在も同じ、組織の中で、上司は選べないもの。こうなると悲劇ですね。