名古屋の松坂屋美術館で開催されている「マティスとルオー」展を観にいってきました。
平日に出かけたので、お客さんも少なめ。
久しぶりに静かな空間の中で名画を楽しむことができました。
平日に出かけたので、お客さんも少なめ。
久しぶりに静かな空間の中で名画を楽しむことができました。
アンリ・マティスの鮮やかで深みのある赤色、
ジョルジュ・ルオーの作品にある独特な重厚感、
実物を見てこそ伝わる感動がありました。
ジョルジュ・ルオーの作品にある独特な重厚感、
実物を見てこそ伝わる感動がありました。
なぜこの二人の対比?と思ったら二人は共に
国立美術学校でギュスターヴ・モローに
師事していたことがあったのだそうです。
国立美術学校でギュスターヴ・モローに
師事していたことがあったのだそうです。
パリに旅行した時、美術館で多くのモロー作品を観ましたが、
幻想的な世界に吸い込まれそうな絵ばかりでした。
そんなモローに師事していたのに
マティスもルオーもその作品を観ると、直接的には
モローの影響が見られないような気がしました。
実際、モロー自身も自分の絵の模倣をさせるよりも
生徒一人ひとりの個性を開花させるような先生だったみたいです。
幻想的な世界に吸い込まれそうな絵ばかりでした。
そんなモローに師事していたのに
マティスもルオーもその作品を観ると、直接的には
モローの影響が見られないような気がしました。
実際、モロー自身も自分の絵の模倣をさせるよりも
生徒一人ひとりの個性を開花させるような先生だったみたいです。
そんな師匠の下で学んだ二人の間には厚い信頼と尊敬を寄せ合う
友情が生涯育まれたようです。
二人の芸術家の間で交わされた書簡が展示されており、
それが今回の展示の「素晴らしき芸術への共感」というテーマになっていました。
友情が生涯育まれたようです。
二人の芸術家の間で交わされた書簡が展示されており、
それが今回の展示の「素晴らしき芸術への共感」というテーマになっていました。
全部で130点ほどの作品が展示されていましたが、
ルオーの描いたピエロや娼婦の絵が印象的でした。
疲れた娼婦の醜いほどの表情が生きることの辛さを語っているみたいで。
でもルオーは社会の下層に生きる彼らのことを決して冷たい目で見ていたとも
思えません。静かに愛情深い眼差しで、
一生懸命に生きる彼らの姿を描いたのだろうと、そんなふうに感じました。
ルオーの描いたピエロや娼婦の絵が印象的でした。
疲れた娼婦の醜いほどの表情が生きることの辛さを語っているみたいで。
でもルオーは社会の下層に生きる彼らのことを決して冷たい目で見ていたとも
思えません。静かに愛情深い眼差しで、
一生懸命に生きる彼らの姿を描いたのだろうと、そんなふうに感じました。
マティスの深くて豊かな色彩、これもやっぱり実際に本物を見ると、
その赤色の豪華さに見入ってしまいました。
その赤色の豪華さに見入ってしまいました。
多分、私自身も生涯この目でまた見ることはないかもしれない・・。
しっかり目に焼き付けておかなくては、という気持ちで眺めていたせいか
美術館を出る頃には少し疲れを感じるほどでした。
しっかり目に焼き付けておかなくては、という気持ちで眺めていたせいか
美術館を出る頃には少し疲れを感じるほどでした。
芸術の秋、今年は食欲ばかり先行させずにいきたいものです。