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今治城は別名吹揚城(吹上城ふきあげじょう)と呼ばれています。

お城のある場所がもともと砂が風に吹き揚げられてできた砂浜だったことに由来するそうです。

築城の名手と謳われた藤堂高虎が関ヶ原の戦功で今治領主になり、

最初は山城に入城したんですが、こっちに新しくお城を建てました。

これは今治城が建っている位置が、瀬戸内海という主要交易路に面していたので

そこを押さえて利益をあげようという経済的な意味と

西国大名を抑えるという政治的意味の二つの目的がありました。

最初到着した時の印象は、「なんて広いお濠!」@@;

当時はお濠が三重にあったらしいです。往時の今治城も随分大規模だったのですね。

海水を引き入れているらしく鯛とかヒラメなどの海魚が泳いでいるみたいです!

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最近、鉄御門が再建され、入り口も重厚感ありました。

今治城にもありました、巨大な石垣の石。

こういうの、大名が勢威を示すために組み入れたりしてたそうです。

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初代城主の藤堂高虎は築城後まもなく伊勢伊賀に転封になり、

藤堂家は江戸期を通してこの地の藩主でした。

私の住んでいる松阪のお隣の街ですー。

藤堂高虎という人は歴史小説では策士として描かれることが多くて、

胡散臭い人だったのかなあと思ってたんですが

以前、伊賀上野城の展示資料を読んでいたら、

地元では領民思いの良いお殿様だったみたいなことが書いてありました。

この人に限ったことではないですが、

同じ人物でもどの視点から照射するかで浮き上がる人物像は全然違うものですね。

高虎は豊臣恩顧の大名ながら関ヶ原では徳川側に寝返り、外様だったけれど

譜代くらいの特別扱いされていました。でも、幕末の鳥羽・伏見の戦いでは

幕府軍が劣勢とみるやいなや、あっという間に官軍に寝返って、

真っ先に幕府側に砲撃してるんです。

機を見るに敏な家系だったと思うんですが、これだと、後世、皮肉られても仕方ないかも。

天守閣は再建なのでコンクリート城でした。

お天気が良く、しまなみ海道の美しい風景が見渡せ感激でした。

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見下ろすと神社もありました。

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初詣参拝の人達がたくさん並んでいたので待つのが嫌いな私はそのままスルー。

今回の旅行でお城観光はここだけです。

この後はまた温泉へ・・^^