何から書こうかなあ・・と思いつつ
広島県呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に行ったことから書いてみます。
呉は造船で有名ですがあの戦艦大和はここで建造されました。
今も立派な造船所があります。どこの造船所かと思って近くまで見に行ったらIHIの造船所でした。

インターを降りて、カーナビに導かれるままこの場所に来たとき、
最初に視界に入ったのがこの巨大な潜水艦。

背景のショッピングセンターや前を通過している自動車の大きさと比較しても
わかると思いますが、巨大です!
実物だそうですが、本当の潜水艦ってこんなに大きいとは。
IHIの造船所の近くには海上自衛隊の潜水艦が今も6基ほど停泊してました。
ここを見に行ったのは日が暮れてからなのですが
暗闇に浮かぶ潜水艦は、水上に突き出た上の一部分しか見えなかったけれども
ずしん・・とくる凄みがありました。
この他にもミュージアムの周囲には別の戦艦(陸奥)の主砲身(大砲の筒部分)とか
潜水調査船とか、大和の建造ドックなど迫力いっぱいの展示がたくさん見られました。
ミュージアムは一面がガラス張り。
太陽の光が差し込み、内部からは海が見渡せ、とても明るい雰囲気でした。

そしてミュージアムの中にはいると・・
戦艦大和の10分の1サイズの模型が置かれています。

結構近づいて見れるのですが、すごく精巧に作られています!
戦艦大和のことは近年映画化されたりして
改めて歴史を見直す機会にもなったと思うのですが
太平洋戦争末期に水上特攻として沖縄に出撃し、3000名もの尊い命が奪われた
哀しい歴史があるんですね。
出撃前の隊員の方々の遺品など、見ていて胸に詰るものがありました。
戦艦大和が建造された経緯は竣工前の軍縮条約で
日本が持つことができる軍艦数が制限されてしまったことに遡ります。
で、数を持てないなら「量より質」で対抗しようということになって
当時の日本が持っていた技術の粋を結集して建造された珠玉の戦艦だったのです。
もうこれは、展示資料に書いてあった建造に関った人達の経歴を観ていて一目瞭然でした。
東京帝国大学工学部卒とか、すごい人ばかり。
日本中の寄りぬきの秀才が呉に集められていたんでしょう、きっと。
大和は秘密裏に建造されたらしく、実際に設計、製図していた人も
大和の全体像のことは知らされていなかったそうです。
しかし、当時の技術者たちのエネルギーが量よりも質に向けられ、そこで培われた技術が
現在の技術国家日本の礎になった経緯には目を見張るものがありました。
ミュージアムでいただいてきたパンフレットからの抜粋ですが・・
たとえば目標までの距離を測る測距儀、これは戦後、カメラなどの精密光学機器に影響を与え
日本の精密機器産業が世界有数の水準に達する基盤になったそうです。
大和建造で取り入れられた生産管理システム、これにより問題の早期解決や工場進捗状況の
把握が容易になり効率的な生産システム構築のもとになったこと。
大和を建造した時の工法、技術が後年、造船だけでなく高層ビルの建築にも活用されたこと。
製鋼技術は戦後の特殊鋼(合金)に活用されたこと。
主砲を製作した工作機械は現在は原子炉圧力容器の漏れを調査する水圧試験に利用されていること。
スクリュープロペラ構造は戦後の鋳物技術の基盤になったこと。
当時の技術者達は、だいたいが、大和建造プロジェクトの全体像さえ知らされていなかったのだし、
ただ、ただ、目の前のことにひたすらに取り組んでいただけだと思うのですが
彼らの残した技術は戦後の日本が世界経済の中で大きく飛躍する基盤になったのだと思います。
この日は大変学ぶ事の多い一日になりました。