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小津安二郎といえば、黒澤明、溝口健二と合わせて
日本映画史における三大巨匠と賞され、
「東京物語」をはじめとするその作品は世界的にも(特にヨーロッパで)
高い評価を得ている映画監督です。

ヴィム・ヴェンダーズやアキ・カウリスマキが小津を敬慕し、
彼らの作品にも強い影響を与えたといわれています。

私は「東京物語」を入れて全部で5本くらい観ただけですが、
作品は市井の人の一般的な生活を淡々と描いたものが多いです。
そこには親子や夫婦の関係の微妙な心のやりとり、人生の機微が巧みに織り込まれ、
劇的なものではないのですが、心にじーんとくる感動を呼び起こしてくれる作品が多いです。

カメラを抱きながら殆ど寝転んだ姿勢で撮影するローアングルの撮影手法は独特で
どの作品を観ても下のほうから撮っている感じです。
               こんなの↓

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小津安二郎は江戸深川の生まれでです。
私は、この人はちゃきちゃきの江戸っ子かと思ってました。
多分、そう思っている人が多いと思います。
でも、この人のお父さんは松阪の人なんですよ。
お母さんは松阪のお隣で今は津市の一部になっている美杉村の出身で。
江戸時代は松阪から江戸に出ていって財を成した商人が多く出ていますが
小津家もそうだったようです。
未来の映画監督は、「江戸店持ち松阪商人」の家の息子であったのですね。

生まれは東京ですが、教育は郷里松阪で受けさせたいという父親の意向で
9歳の頃、一家は松阪の垣鼻というところに転居します。
垣鼻という地名は今でもあって「カイバナ」と読むのですが
小津家があった場所は現在の愛宕町になります。
地元の方はよくご存知かと思いますが、
料亭、飲み屋さん、怪しげなお店などなど
いわゆる「夜の街」と呼ばれる区域です。
その頃も太陽が沈むと青や赤の灯りがともる大人の街だったみたいです。

こういう環境にいたせいか、本人もちょっとおませでやんちゃな少年だったようです。
小さい頃から自宅近くにあった「神楽座」という映画館に通いつめ、
どんどん映画の世界に傾倒していきました。

子供の頃の環境や経験は大人になってからの人生に多大な影響を及ぼすと
言われますが、小津本人も後年、
「もしこの神楽座がなかったら僕は映画監督にはなっていなかっただろう」
と他の人に語っていたとか。

松阪で過ごした10年が彼の生涯を決定付ける大きな要素になったのでしょう。
彼独自のローアングルの描写は10代の頃、よく原っぱで寝転んで観ていた
郊外の風景が原点にあるのではないかと言う人もいるそうです。

この小津安二郎と松阪との関わりを展示した資料館である
「小津安二郎青春館」というのが彼の自宅が建っていた場所にあります。
愛宕町の端っこのほうです。

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入場料はたった100円。
狭いスペースですが興味深い展示がたくさんあるので
映画に興味のある方は是非足を運ばれると良いと思います。
小津安二郎が小学生の頃に書いた水彩画や作文なども展示されていて
子供ながらもその観察眼の繊細さと鋭さには舌を巻きました。

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イギリスに「サイレント・アンド・サウンド」という映画雑誌があり、
10年ごとに世界映画史上のトップテンを選んでいるそうです。
ここで彼の代表作である「東京物語」は1992年には第3位、2002年には第5位に
選ばれているとか。

資料館の方が仰っていましたが、外国人の方もよく来館されるそうです。
世界に名だたる映画監督が自分の住んでいる街とこんなにも深い関わりがあったというのは
なんだかちょっとだけ誇らしい気分です^^